2005年09月27日

はてなテトラッド1.1

はてなブックマークのコメント欄が私たちにもたらしたものの続きです。


はてなブックマーク−不備日報: はてなブックマークのコメント欄が私たちにもたらしたもののコメント欄で、takahata_kazuoさんのコメント

『[SBM]敷居が低くなったことで隠れた評価が現れるようになったという面もあるかな(ブログコメント欄の衰退)』

を受けて、なるほどと思ったのでテトラッドを更新しました。

tetrad02.jpg

ブログのコメント欄がコメントを残すことのハードルを高めていたとすると、コメントを入れやすいはてなブックマークは、沈黙の中に隠されていた評価を浮き上がらせる役割を持ちます。ブログコメント欄の衰退と、はてなコメント欄による隠されていた評価の回復は、セットで考えられる関係だと思います。


■刺激になる指摘をもらったのをきっかけに得た着想を、忘れないうちにここにメモしておきます。

メモ1:はてなブックマークのコメント欄について考えるのならば、ブログのコメント欄が持つ影響をセットで考えないとだめなんじゃないか?

メモ2:「敷居が低くなった」という部分でははてなブックマークのコメント欄もSNSも共通している。SNSとの比較をもうちょっと突っ込んで考えたほうがいいんじゃないか?
posted by ちんこ寺 at 01:26 | Comment(0) | TrackBack(1) | はてな b_entry.gif

最近驚いたり新鮮に感じたこと

最近発見したことや、驚いたこと、うれしかったことを書きます。


■はてなブックマークのことを書いたら反響があって驚いた
9月21日の記事はてなブックマークのコメント欄が私たちにもたらしたものを書いたら、はてなブックマークでたくさんの人にブックマークしてもらい、通常の3倍以上の人が見に来てくれました。

驚きのあまり、はてなブックマークのホットエントリーは化け物かと画面に向かってつぶやきました。
また、たくさんの方にはてなブックマークのコメント欄や記事で取り上げていただいて感動しました。この場で厚く御礼申し上げます。みなさんありがとうございます。

この記事を書いたことで、次の記事や次の次の記事を書く材料ができたので、おいおい同じ話題の記事を書いていこうと思います。一所懸命記事を書くとすごく消耗するのでゆっくり取り組みます。



■ランペルールは諸君らを黄金の沃野に導く

無題.bmp
↑ランペルール(1987年 koei)

最近「コーエー定番シリーズ」で1980円で売っていることを知り、買いました。このゲームはナポレオンになってヨーロッパを蹂躙することを目的としたシュミレーションゲームです。更新のペースが落ちたのはナポレオン閣下のせいです。

名作です。大人のゲームです。もし1987年当時、餓鬼だった私がこの作品を買っていたら、間違いなくクソゲーの烙印を押して、同じく大人のゲームであるバンゲリングベイと一緒に80円くらいで売ってしまっていたかもしれません。そういう名作です。

なんというか、19世紀初期のヨーロッパのパワーバランス体感できる仕組みが秀逸なんです。「信長の野望」や「三国志」と違って外交の重要さが際立っていて、戦争は外交の一形態であるということを実感できる貴重なゲームです。

久しぶりにゲームを元に歴史上の出来事や人物について調べようという気になり、知識の幅が広がりました。無理やりブログに関連付けて考えると、私も読む人に行動をさせる、新しい着想を得させたり、調べたいなと思わせることのできる記事を書きたいものです。



■ヌ・ギッツィーニのテキストに感じる凄み

はてなブックマークでヌ・ギッツィーニというサイトを発見しました。同じ人が書いている2円以上、7円以下。というブログ経由で見に行ったのですが、ここ最近味わったことのないインパクトを食らいました。

久しぶりに、狂気をもてあそぶ知性の凄みを感じました。

安部公房に似てます。あと死ぬ前の芥川の「河童」や「歯車」を彷彿とさせます。

安部公房や芥川後期型みたいな文章をただで読めるんです。そして安部公房よりもえらいのは、何かあらわすために不条理なテキストを書くのではなくて、不条理のために不条理なテキストを書いているところです。

書くことについて悩んでいる人は、こういう不条理で凄みのあるテキストを読んだら、悩んでいること自体を忘れ去るに違いないと思います。そういうパワーがあります。大絶賛。


posted by ちんこ寺 at 00:42 | Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 b_entry.gif

2005年09月21日

はてなブックマークのコメント欄が私たちにもたらしたもの

■前回の記事、はてなブックマークについてのメモの続きです。



■今回の記事では、主に「はてなブックマークのコメント欄は私たちに何をもたらしたか」を書きます。
まなめはうす:2005-09-14 (Wed) 23:01 誰かこのテーマで考察して
のお題であるところの、

・はてブコメント文字数の上限について
・はてブユーザが自分のブックマークを見直すこと

を、発展させ、前回提示した↓のテトラッドを文字に起こして、いろいろ考察しました。
tetrad01.jpg


■あと「断片部‐lis::はてなブックマークのコメント欄パンク問題」というところで、はてなブックマークについて書いている記事を集めているようなので、参考になればと思い、トラックバックしたことを書いておきます。
この話題が気になる人は見に行ってください。


それでは、テトラッドによるはてなブックマークのコメント欄の考察、スタート。



■強化
はてなブックマークのコメントは、人間の海馬の強化だ。もともとブックマーク機能は人間の記憶、メモ帳等の書かれた記録の進化だから、ブックマークの延長たるSBMは人間の記憶の延長といえる。

また、はてなブックマークに付随するコメント機能は、利用者の検索能力を強化する。本を読むときに「しおり」の代わりに付箋をはり、付箋に小さなメモを書き残すやり方があるが、はてなブックマークのコメント欄は、この「付箋に書かれた小さなメモ」の拡張である。

さらに同じ記事をブックマークしている人のタグやコメントを読んだり、「お気に入り機能」を駆使するによってことによって、利用者全体の知識や情報を検索して、新しい情報、知識を生み出すことも可能である。
はてなブックマークは人間の海馬のみならず、大脳の拡張、神経組織の拡張であるとも言える。



■衰退
同時に、はてなブックマークのコメントは、検索能力向上の手段の他に、コミュニケーションの手段として使われる。これによって、個々のブログのコメント欄は、はてなブックマークのコメントに取って代わられ、衰退する。
なぜなら、ブログのコメント欄が記事中心、管理人主体(削除権限等)、双方向コミュニケーションであるのに対し、はてなブックマークのコメント欄は、コメント者の感想中心、コメント者主体、非双方向コミュニケーションであり、あくまで情報の検索が目的だという建前も用意できるので、コメントをつける際の利用者の心理的な壁が、はるかに低いからだ。

ブログのコメント欄が衰退することで、ブログ管理人と読者の一対一の問答も衰退する。はてなブックマークでは、「同じ記事をブックマークしている人を見つけられる」という平面的な広がりを得られるが、ブックマークしたブログ管理人との一対一の対話によるテーマの深化や新たな論点の発見はできにくい。

また、はてなブックマークのコメントは、プライベートな空間も衰退させる。従来のブックマークは自分しか見られない、純粋に検索用のものであったため、そこに蓄積される情報は基本的に個人の興味の範囲と合致していた。
しかし、はてなブックマークでは、コメント欄の存在により、利用者同士のコミュニケーションが発生するので、純粋に検索用のブックマーク以外の使われ方をすることがよくある。個人の興味の範囲と完全に合致するとは限らず、人に見られたくないブックマークは姿を消し、コミュニケーション目的のブックマークも存在するようになった。
はてなブックマークは、コメント欄の存在によりコミュニケーション志向が高まり、従来の純粋に検索能力補助を目的としたプライベートな空間を衰退させた。プライベートモードを使う人は、ブックマークにおいて、コミュニケーションを介さずに検索能力を高め、一方で旧来的なプライベート空間の回復を望む人だ。



■反転
はてなブックマークのコメント欄がもたらすものは、プライベートな空間や情報の深化の衰退だけではない。コメント欄から生じるコミュニケーションは、情報の迅速な広がりに便利だが、度を越えると、ただの井戸端会議に反転する。はじめに記事ありきではなく、コミュニケーションを目的として記事を取り上げるようになると、情報の伝播はさえぎられ、情報の迅速な広がりを助けるという本来の機能を失ってしまう。

また、コメント欄の他に「お気に入り機能」がついており、これがコミュニケーション志向を加速させる。しかし、元々情報の横の広がりを加速させるための「お気に入り機能」は、使い方によっては、利用者の巡回先を限定させてしまう側面もある。

そこで、同じ記事に同じような面子がブックマークをする傾向が現れる。この傾向が行き着くところまでいくと、はてなブックマーク上に無数に、mixiに代表されるSNSに近いけれどもそれよりもゆるい閉鎖型コミュニティが形成される。



■回復
回復とは、古い構造が新しい技術によって回復することを指す。

・はてなブックマークのコメント欄は古代ギリシャのアゴラ(広場)を回復する。古代ギリシャの都市の真ん中には広場があり、そこで市民たちが政治や、哲学や、科学など、多くのことを語りあった。
はてなブックマークは、コメント欄の利用によって利用者なら誰でも気軽に参加できるアゴラを提供している。コメント欄によって、ブックマークされた記事ごとに、市民なら誰もが参加できるアゴラが無数に存在するようになった。

・また、新聞の投書欄と、はてなブックマークのコメント欄とは、似た部分を持つ。
基本的に一方通行のメディアであり、自分の意見を一方的に述べるにとどまるからだ。はてなブックマークでコメントをつけられると反応しにくいという声があるし、新聞の投書欄も、言及された人、たとえば自著に対する意見を投稿された作家が投稿者に紙面で議論を吹っかける例はあまり見ない。

・はてなブックマークのコメント欄は、50文字という字数制限、タグのような固定された様式を持つという意味で、散文というよりかはむしろ詩歌に似ている。
日本の短歌、俳句、中国の五言絶句、ヨーロッパのソネット、詩歌はおよそ定型で、韻を踏むなどの様式を持っている。
50文字の字数制限がキツイという意見が出るのは、おそらく散文としてコメントを使っているからであり、コメント欄をひとつの詩、タグを様式、字数制限を五七五のような「型」だと思って運用すれば、「50文字はキツイ」とは思わないはずだ。
コメント欄の50文字制限は、使い方の洗練が続けば、詩歌の回復につながる。

また、ブックマークされた記事に定型の短いコメントが時系列についていくさまは、日本の伝統である連歌を連想させる。




■以上、テトラッドを使って考えた断片を集めました。本当に取り留めのない記事なので、ここから細かい話題を拾って深化させ、新しい記事群を作っていこうかなと思います。
posted by ちんこ寺 at 03:12 | Comment(1) | TrackBack(2) | はてな b_entry.gif

2005年09月17日

はてなブックマークについてのメモ

■さっき「博士の異常な愛情」を久しぶりに見ました。笑いすぎて腹がよじれました。やっぱりキューブリックはすばらしいイカレ野郎だと感心しました。褒めているんですよ?


■さて、まなめはうす:2005-09-14 (Wed) 23:01 誰かこのテーマで考察して
という記事で、

・はてブコメント文字数の上限について
・はてブユーザが自分のブックマークを見直すこと

以上の2点のお題が提示されました。
面白そうなのでどちらかひとつやってみようと思い、ああでもないこうでもないと考えています。

そのまま流れてしまうといけないので、途中経過をここに晒します。

tetrad01.jpg

上図は、「メディアの法則」で提示されたテトラッドの真似です。
これを元にして、文章をおこしていってお題に答えようと思っています。

こうやって図を描いたり絵を描いたりしながら記事を考えるのが私にとってのブログの醍醐味です。題材を見つけて、頭を絞って考えて、文章に変換する。この一連の作業が一番楽しかったりします。


途中経過を書いたからには絶対にやります。成さねばならぬ何事も。



……

………

総統、歩けます!*





*…脚注
posted by ちんこ寺 at 02:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | はてな b_entry.gif

2005年09月14日

非モテ-モテ運動を調査しました。あとその他1。

最近話題になった非モテ-モテ運動が気になったので調べた。その調査結果を記す。
そういえば「神聖モテモテ王国」また復活しないかな?


■調査報告1 「メディアの法則」調査途中経過

非モテとは関係無し。いま「メディアの法則」という本を読み進んでるんだけど、すごくややこしくて、読むのに骨が折れる。でもがんばる。4500円。
ブログ論とか書いてる人はこういう本読んだら、いろいろ着想を得られるんじゃないかなと思った。


■調査報告2 非モテ-モテ運動の調査

最近話題になってるので気になって調べた。はてなブックマークとかにもせっせとコメントつけて調べた。でもつまらなかったのでがっかりした。
自分が持った感想に最も近いのがMUSTERBATOR:非モテのオナニースパイラルという記事。
ここの中の下記の文章に、この話題がつまらない理由が凝縮されていると思う。

引用ここから

女性と接触したくない、という理由を内包している純オナニーは、オナニーすればするほど、女性から遠ざかっていってしまっている。たいした理由もないまま、二次元ポルノに淫し、射精する。そこで得られる満足は、自然に「別に女なんていらねぇよ」という意識を補完してしまう。オナニーの後は一時的に性欲もおさまってしまっているので、なおさらだ(小難しい小理屈をこねくりまわしてしまうのも、たぶんオナニー後)。そしてさらに女性から遠ざかり、セックスする機会を失いながら、またオナニーという小爆発を繰り返す。

引用ここまで

本当にその通りだと思う。
変なところでガス抜きして、腑抜けた状態で物を書いて、それが自分の本心だと思うから、心に響かんのだ。
たとえて言うなら、

「ロックじゃねえんだ」

あるいは、

「ソウルが感じられねえんだ」

といったところか。
こみ上げてくるごく自然な欲望を棚に上げて、精子と一緒にルサンチマンだの何だのと小難しい理屈を垂れ流しても面白くないんだ。そこでぷんぷん臭っている生の欲望を無視して人間の交流に関することを書いても全然説得力ないんだよ、というのが、この話題の感想。

最初は、「フランケンシュタインの怪物」や「オペラ座の怪人」と同じようないじけ方をした人たちの自己讃美かと思ったが、そういうことでもなかったみたい。怪物や怪人は、曲がりなりにも自分の存在をかけて、人間の偏見、憎悪、無理解と戦ったが、非モテ近辺の人たちは戦ってさえいないという印象を受けた。まあいいや。


■まとめ

収穫:調査の過程でMUSTERBATORというブログを発見できたこと。ここは面白い。
posted by ちんこ寺 at 01:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 b_entry.gif

2005年09月11日

悪徳の美学 バカ三十六計 其の六 敗戦の計

大団円。ところでさっき、近くの本屋でマクルーハンの「メディアの法則」4500円を見つけ、発作的に買った。高かった。これはよく読んで記事にしなければ。バカ三十六計なぞ早く終わらせねばと思い立ち、筆を執った。

元ネタ
三十六計

前回までのあらずじ?
悪徳の美学 バカ三十六計 其の一 勝戦の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の二 敵戦の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の三 攻城の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の四 混戦の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の五 併戦の計



●第三十一計 美人計
敵国の王様の下に美女を送り込めば、敵の弱体化を図ることができる。

自ブログのプロフィール欄等に女性の写真を貼って、関心を買う策である。しかし、男性諸君イカ臭いアクセスの向こうにいろいろな妄想が渦巻いていることを覚悟しなければならない。



●第三十二計 空城計
こちらが弱小であるときにさらに弱小に見せるアクロバティックな策が空城の計である。これにより敵を疑心暗鬼にすることができる。

わざと脇の甘いところを見せて、敵に「こいつは真性バカか?」と思わせて追及の手を緩ませる。これにより不名誉なレッテルを貼られると同時に、その場しのぎをすることができる。しかし、自分が本当にバカだと思われている場合は効果が極めて薄くなる危険な策だ。



●第三十三計 反間計
敵のスパイを二重スパイとして使うことで情報戦に勝つ。

成りすましを駆使して敵および敵の常連さんに迷惑をかける。この計を使うことで、相手に徹底的に嫌われ、アクセス禁止や「IPさらすぞ、ゴルァ!」を引き出すことができるかも知れない。



●第三十四計 苦肉計
自分をわざと傷つけて、偽装投降を相手に信用させる。

自分はバカですどうしようもないですとイジけて同情コメントをもらう。この計を使うことで短期的にコメントをもらえてうれしいなと思えるが、あまり使いすぎると「またか」と思われるだけなので注意が必要。



●第三十五計 連環計
いくつかの計略をつなぎ合わせて敵を破る。

くだらないトラックトラックバックを送り続けて敵を奔命に疲れさせる。この計と他の悪辣な計を連動させて敵を粉砕せよ。



●バカ三十六計大団円 第三十六計 走為上
以上の計を用いても勝てそうにない場合は逃げるにしかず。

以上が悪徳の美学バカ三十六計である。もしあなたが上記の三十五計を見かけたら、走為上(逃げるが勝ち)である。決して関わってはならない。もし関わるならば、自分もバカの烙印を押される危険性を十分認識して関わるべきだ。基本的に華麗にスルーが吉なり。三十六計逃げるにしかず。

また、自分がバカの三十六計に類する行為を行っている場合、速やかにやめるべし。間違いを改めることは恥ではない。本当の恥は間違いを認めないことであり、自分はもしかしたらバカではないかと疑うことを知らない姿勢である。


posted by ちんこ寺 at 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | webの恐怖 b_entry.gif

悪徳の美学 バカ三十六計 其の五 併戦の計

バカ三十六計をはじめた事を後悔しはじめた。いや、もうすぐ終わりだし、物事には無意味なことはない、後の肥やしになるようにがんばろうではないか。

元ネタ
三十六計

前回までのあらずじ?
悪徳の美学 バカ三十六計 其の一 勝戦の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の二 敵戦の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の三 攻城の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の四 混戦の計



●第二十五計 偸梁換柱
敵の陣形を変えさせ、主力部隊を「死に駒」化させて弱体化を狙う。これを偸梁換柱という。

論敵の論点がぶれるような挑発行為を繰り返して敵の理論を弱体化させよ。しかし自分の言いたいこともぶれてしまって泥沼化することが多いので、うまくいくことはほとんどない。



●第二十六計 指桑罵槐
第三者を非難することで、間接的に相手を非難すること。

気に入らない奴と直接対決したくないときに使う悪辣非道な策。第三者を指して間接的に相手を攻撃することで、文句を言われても、お前のことじゃないとシラを切ることができる。また、勝手に指桑罵槐の計を使われたと思い込んで怒り心頭で殴りこんでくる者もいる。



●第二十七計 仮痴不癲
バカのふりをして実はバカではなく、内心で謀をめぐらし、利益を得ること。

この計を使うことで、実は僕はバカじゃないんだよと浮ついた自己顕示欲を示すことができる。ただし、本当にバカだと思われている人がこの計を使っても恥の上塗りになるおそれがある。



●第二十八計 上屋抽梯
相手が飛びつきそうなえさをもって誘い、逃げ道をふさいで孤立させよ。

敵が飛びつきそうなトピックを用意して誘い出し、後であげ足取りをして恥をかかせろ。しかしよっぽどうまくお膳立てしないと敵は乗ってこないので、非常に難しい計。



●第二十九計 樹上開花
花のない木に花をつけるような偽装工作をすれば、敵を欺いてこちらの勢いが盛んだと思わせることができる。

内容のないブログでも、片っ端からトラックバックを送ったり、せこいアクセスアップサービスを使えば、一見盛況ブログに見せかけることができる。トラックバック先から文句言われようと、せこさをあざ笑われようと突っ走れ。



●第三十計 反客為主
主客転倒。主の隙を突き客が主役となること。

気に入らない記事のコメント欄で、関係あるのか関係ないのか微妙なコメントを書き、その場の人間を煙にまけ。そして持論をだらだら展開して主役になったつもりになれ。 



●併戦の計 結び「李下に冠を正さず」
以上六計が併戦の計である。この中のひとつでも、「これは使える」と思ってしまったら、人から嘲笑されるのを覚悟すべきである。また、被害妄想気味の人から見当違いな反撃を食らわないように注意すべきである。
posted by ちんこ寺 at 17:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | webの恐怖 b_entry.gif

悪徳の美学 バカ三十六計 其の四 混戦の計

だんだん行き詰まってきたが、最後までやり遂げるはこれ男児。三十六計自体ただの寄せ集めであり、困る。


元ネタ
三十六計

前回までのあらずじ?
悪徳の美学 バカ三十六計 其の一 勝戦の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の二 敵戦の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の三 攻城の計



●第十九計 釜底抽薪

敵の力が強大でかないそうにない場合、直接対決するのではなく、その強さの根源を突き止めて弱体化せよ。

直接論争してもかないそうにない場合、相手のブログをくだらないコメントで満たし、記事の質を下げることで勝ったつもりになれ。その際、削除するかどうか迷わせる質のコメントが好ましいが、そこまでできないだろうから、無理しなくて良い。これを釜底抽薪(薪を抜いて釜の火力を弱める)という。



●第二十計 混水摸魚

勝利の条件を自ら作り出せ。

コメント欄で適当に煽って相手の失言を誘い、揚げ足を取れ。しかしあまりにアホな煽りだと、煽っている事を気づかれなかったり、削除されたりして終わる。



●第二十一計 金蝉脱殻

移動するときは敵に見つからぬよう、いかにも現在地にいるように見せかけよ。

喧嘩を吹っかけて明らかに都合が悪くなったときは、気づかれぬようにひそかに別のブログを作り、いきなり引っ越せ。これで追跡を一時的にかわすことができ、その間書きたい放題できる。



●第二十二計 関門捉賊

弱小な敵は包囲殲滅せよ。

相手が自分より弱いと思ったら容赦なく攻撃せよ。なりふり構って妥協するなどもってのほかである。完膚なきまでに叩き潰し、一方的に勝利宣言を発表せよ。



●第二十三計 遠交近攻

遠い国と友好関係を保ち、近い国に戦争をしかけよ。

似たような話題のブログとは争いが起こりやすいので、積極的に喧嘩を売れ。話題が遠いブログとは適当に話をあわせてお茶を濁せ。



●第二十四計 仮道伐カク

他の国を攻めるように見せかけて目的の国を攻めよ。

アクセスの多いブログが言い争いになっているときは、擁護する振りしてリンクのついたコメントらトラックバックをべたべた貼り、アクセスを稼ぎ出せ。これが道を借りてカク(古代中国の国名)を滅ぼすの極意である。



●混戦の計 結び「雄弁は銀、沈黙は金」
以上六計が混戦の計である。この中のひとつでも、「これは使える」と思ってしまったら、他のブログにコメントしたりトラックバックしたりしてはならない。嘲りと哀れみを受けるだけだからだ。また速やかに自身のブログのコメント欄、トラックバック欄を閉じ、独りで文句をブツブツ言うのが世の中のためになるのを知るべきだ。
posted by ちんこ寺 at 14:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | webの恐怖 b_entry.gif

2005年09月10日

悪徳の美学 バカ三十六計其の三 攻城の計

三十六計べからず集、折り返し地点です。だんだん飽きてきたけど、がんばる。


元ネタ
三十六計

前回までのあらずじ?
悪徳の美学 バカ三十六計 其の一 勝戦の計
悪徳の美学 バカ三十六計 其の二 敵戦の計



●第十三計 打草驚蛇
事前の偵察行動は入念に行うべし。威力偵察も積極的に使うべし。

おとりトラックバックを送って反応を見よ。削除まで時間がかかるブログは管理が行き届いていない可能性あり。アクセス至上主義者や無差別大量スパマーにとって格好のえさである。



●第十四計 借屍還魂
旧世代の遺物をうまく権威づけて利用することを心がけよ。

敵の昔の記事から、今の主張と矛盾するものを引っ張り出して、鬼の首を取ったように勝ち誇れ。そうすれば自分が証拠物件Aを振りかざして相手を論破しているつもりになれる。



●第十五計 調虎離山
要塞や有利な地形に陣取っている敵は、そのまま攻撃せず、おびき出して戦え。

相手のコメント欄で戦うのは分が悪いので、自分のブログのコメント欄へ誘い込め。そして「IPさらすぞゴルァ!」と叫べ。これによってまともな読者を追い出し、不名誉な烙印を押されるが、圧倒的有利な立場で相手と決戦することが出来る。
第二計 囲魏救趙の事例(粘着への陽動作戦)も参照すべし。



●第十六計 欲擒姑縦
追い詰めず手放さず、絶妙の間合いを取って敵を弱体化させよ。

上記のような脅し文句は最終手段なのでタイミングを間違えてはいけない。なぜなら、この言葉は相手のコミュニケーション拒否を誘発する言葉だからだ。過激な脅しを使わず、適度なバカさ加減を保つことが、世の好事家に喜んでもらうポイントである。



●第十七計 抛磚引玉
敵を誘い出すために、どうでもいいものをおとりに使って利益を得よ。

どうでもいいコメント(もちろんリンクつき)や、内容すっからかんなトラックバックを送りつけてアクセスを得よ。
第十二計 順手牽羊の事例も参照のこと。



●第十八計 擒賊擒王
賊を捕まえるには、まず親分を捕らえよ。そうすれば組織は瓦解する。

コミュニティの中心的ブログ、アクセスの大きいブログからアクセス吸い取り行為を行え。そうすれば周辺ブロガーや読者から、怒りと失笑のアクセスを大量に得られる。



●攻城の計 結び「木を見て森を見ず」
以上六計が攻城の計である。この中のひとつでも、「これは使える」と思ってしまったら、自分がなぜブログをやっているのか、何か人間として大切なことを忘れていないか、もう一度時間をかけて考え直さなければならない。




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2005年09月08日

悪徳の美学 バカ三十六計 其の二 敵戦の計

悪徳の美学 バカ三十六計 其の一 勝戦の計の続きです。やっぱり悪徳はバカに見えるほど美しい。今度、悪徳についてちゃんと書いてみたいです。


バカ三十六計 敵戦の計 六計 スタート。


●第七計 無中生有
無から有を生み出す。転じて虚から実を生み出す計である。

アクセスカウンターを設置し、自分で何千回もクルクルまわすことによって、自分のブログを一夜にして万人の読むブログだと思い込むことができる。また、この計を使うことによって、リテラシーのある人の再訪問を拒み、インターネットを良く知らない人たちの間で君臨することができる。これを無中生有の策という。



●第八計 暗渡陳倉
敵の目を陽動部隊にひきつけておいて、まったく別の要地を急襲奪取すること。

タイトルと出だしだけ物々しいトラックバックを送り、敵のアクセスを吸収せよ。内容はすっからかんでかまわない。敵の目をいかにタイトルにひきつけ、削除されるまでの時間をいかに稼ぐかがポイントになる。



●第九計 隔岸観火
彼岸の火事を見る。敵が内紛を起こしている場合は軽挙妄動せず、じっくり観察してから行動を起こすべし。

内紛を起こしているブログには、軽はずみにコメントを書いたりトラックバックを送らず、事の次第を逐一チェックすべし。紛争が収束した後にタイミングを見計らっておためごかしで余計なことを書き込めば、自分が英雄になった気分に浸れる。



●第十計 笑裏蔵刀
外面は友好的に装い、内面において陰謀をめぐらせること。こうすることで敵にとって当方の行動は電光石火に見える。

紳士然とした態度を装い、敵の信用を勝ち得て脇が甘くなったところを隙をついて大攻勢をかける。敵は怒りを通り越してあきれ返るので、一方的に勝利宣言を下して自己満足に浸ることができる。
自分の信用を失墜させても勝ちたい、恥も外聞もなく勝ち負けに徹する美しさの前には、敵は敗れ去るのみである。



●第十一計 李代桃橿
肉を切らせて骨を断つ。戦争には損害がつき物だが、彼我の損得を見積もって計算をすべし。

敵を攻撃するときに恥や外聞を気にしてはいけない。バカの烙印を押される損害を織り込み済みで敵を攻撃、沈黙させよ。そして、敵の沈黙を、自身の損害を上回る戦果だと信じ込め。



●第十二計 順手牽羊
隙を見て羊を盗む。転じてわずかな隙を突いておいしい思いをすること。強大な相手の隙を突いて利益を得ること。

わずかな隙も見逃さず、アクセスの大きいブログや話題の記事に、「TBさせてください」「○○さんの言うこと分かるわ〜」などの場当たり的で書くのに苦労しないコメントやトラックバックを送り続けるべし。こうすることで敵と戦わずとも自ブログにアクセスを流し込むことができる。



●敵戦の計 結び 「羞を包み恥を忍ぶはこれ男児」
以上六計が敵戦の計である。この中のひとつでも、「これは使える」と思ってしまったら、自分の心の虚しいことを認めなければならない。しかし、大恥をかき、不名誉なレッテルを貼られてもなお死して後已まんという覚悟のものは、そのまま突っ走って、世の好事家に話題を提供し続けるべきである。
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悪徳の美学 バカ三十六計 其の一 勝戦の計

三十六計のことが詳しく載っているサイトを見て、表題の件を思いつきました。
数日前トラックバック美学という記事で「べからず論」ではなくて「どうすればよくなるかを追求しよう」と書いた舌の根も乾かぬうちに「べからず論」です。
悪徳はバカであればあるほど、異様な精彩を放ちます。私は悪徳の美学に魅せられてしまいました。


バカ三十六計 勝戦の計 六計 スタート。


●第一計 瞞天過海
陰謀は悪巧みは、夜中にこそこそ隠れてやるべきではない。白昼堂々、人の意表を付いて行うべきである。

「うんこちんちん」に類するくだらないコメントを入れるのは夜ではなく、白昼堂々やるべきである。昼休みが終わった時間帯を見計らうとなお良い。夜勤業務のある職業でない限り、昼間は働いていてブログを見る時間がない人が多い。そして、たいていの場合、真昼間からそんなバカなことが起こるとは想定していない。

そこで、くだらないコメントは昼間に書けば、夕方まで削除されずに残り、衆人の目にさらされることになる。この策を使うことで、自分のバカをさらしつつ、敵の記事の品位を落とすことが出来る。



●第二計 囲魏救趙
故事:斉国の参謀孫子は、魏国に攻められた趙国を助けるため、直接魏国の野戦軍とは戦わず、魏の首都を囲むこと魏軍を撤退させ趙国を救った。

自分の行きつけのブログが粘着に絡まれて更新が滞っている場合、粘着がまともな反論のつもりでトラックバックを打ったりしている場合は、粘着のブログに乗り込んで、自身が粘着の権化となり、行きつけのブログの包囲網を解くべきである。

また、粘着が匿名の場合、粘着に成りすまし攻撃を与えて敵の関心をこちらに向けさせ、該当記事への攻撃から、「粘着」VS「成りすましアンチ粘着」の構図に切り替え、「決着をつけよう」といって自分のブログに陽動すべきである。



●第三計 借刀殺人
自分は手を下さずに、第三者を使って敵を攻撃させること。

ハレンチ☆パンチにむかついたので、オレンジレンジ応援サイトに「ハレンチ☆パンチをつぶせ」と書き込んでレンジファンに攻撃させようとするのは借刀殺人の計である。しかし、使い方を誤ると、借りようとした刀が全速力でこちらに向かってくることを覚悟せねばならない。



●第四計 以逸待労
逸をもって労を待つ。自分は十分に休息でき、敵が日に日に疲労していく状況を作り出せ。

web上の言い争いで相手に勝つためには、論理的な思考よりもむしろ、気力体力の充実が不可欠である。そのためには、現在の職を辞して無職になり、24時間自由に使える状況を作って、敵を奔命に疲れさせなければならない。
こちらが24時間いつでも寝られるのに対し、敵は夜の睡眠時間を削って応戦するので疲れていく。こちらは24時間いつでもコメント欄やトラックバックでくだらない罵声交じりの反論を書き込めるが、敵は夜しか書き込めない。
これが逸をもって労を待つの極意である。しかし、この場合のweb上の「逸」は、現実生活においてはなはだしい「労」となり、生活を破綻させる危険な策略だ。



●第五計 趁火打劫
敵の不利益が大きければ、こちらはそれに乗じて利益を取るべきである。

もめているブログに乗り込んでいって、自ブログのURLを貼り付けながら、さらにもめるようなコメントをたくさんつけてアクセスを取り込むのは趁火打劫の計である。アクセス至上主義者の脳内は、良いアクセスも悪いアクセスも無く、アクセスが増えれば即ち真であり、善であり、美なのだ。



●第六計 声東撃西
敵の指揮が乱れている場合は、陽動作戦でさらにかく乱すべし。

アクセス至上主義者が使用してめったに成功しない究極奥義である。
「楽して30万稼ぐ秘訣はこちらをクリック」などといってアクセスランキングに誘導するのは
声東撃西の計である。この場合、管理人はただ周りを省みない利己主義なだけで、訪問者をかく乱する意図は無いが、結果的にかく乱したことになってしまう極悪非道の計である。



●勝戦の計 結び 「バカの考え休むより魔多し」
以上六計が勝戦の計である。この中のひとつでも、「これは使える」と思ってしまったら、襟を正してプロバイダとの契約を解除し、回線を切ってPCをリサイクル業者に売り渡し、二度とインターネットに接続してはならない。
posted by ちんこ寺 at 12:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | webの恐怖 b_entry.gif

2005年09月07日

美学とディクソン先生と好事家の私

■さっき「トラックバック美学」という記事を書いて、そういえば美学ってなんだ?と思い当たり、大好きなウィキペディアで調べてみた。

ウィキペディアで美学を検索



……

………

読んだけど、いまいち良く分からなかった。
もしかしたら美学の項目を担当したボランティアさん達も、よくわかんないまま定義だけ書いたのかもしれない。そういうことって良くあるよなって思った。


■マンアフターマンをはじめとするドゥーガル・ディクソン先生の業績を褒め称える記事を書きたい。今は眠いから書かないけど、いずれ書きたい。絶対書きたい。なんとしても書きたい。

最近、念願の新恐竜を買った。
↓こんなやつ。


もし恐竜が滅びずに現代まで生きていたら、どんな恐竜達が栄えているだろうか?という思いつき(といったら失礼か?)を元に、架空の恐竜図鑑を作ってしまったという代物。
子供のころ図鑑のページをめくりながら心ときめかしていたことを思い出させてくれる。

こうやってどうでもいいことを細部にわたって研究、持論を展開するところがたまらなく好き。
ディクソン先生がんばってください。極東の島国に、あなたのことを大好きな好事家が一人います。

あと宣伝ついでに最近読んで面白かった本。


どれも、傍から見るとどうでもよさそうなことに真剣に取り組み、かんがえあぐむ姿がたまらなく素敵だ。
漢(おとこ)どもの著作。


■自分ももっとがんばって、先人達に負けず、どうでもいいことを探求し、死して後已むの気概でがんばらなくてはと心に決めた。
とりあえず、さっき書いたような気が滅入る美学シリーズを行き着くところまで(飽きるまで)やってみようかな。
posted by ちんこ寺 at 02:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 b_entry.gif

2005年09月06日

トラックバック美学

□私はトラックバックの戦犯のひとりだ

LSTYさんのトラックバックをダメにした犯人は誰だ!?を読んで思いついたことです。

上記の記事では、トラックバックを駄目にした犯人を探すという形で、トラックバックの現状と未来を考えています。ちなみに容疑者は以下の4タイプです。

1 アクセスアップしか考えないスパマー
2 トラックバック大量送信の無自覚的スパマー
3 トラックバックしない人
4 トラックバックの作法にうるさい人

私に関して言えば当てはまるのがありそうです。

私は「3 トラックバックしない人」です。
トラックバックはあんまりしたくないです。めんどくせえなと思っています。トラックバックがいろんなところで論じられ、時として非生産的な論争になっているのを見るにつけ、めんどくせえなと思ってしまった経緯があるので、私自身に関して言えば、LSTYさんの分析はあたってそうです。



□それでいろいろ考えた
確かにいろいろめんどくさそうだからトラックバックを送らないという部分はあるんだけど、果たしてそれだけなのかと考えました。そこで、いろいろ考えた結果、「私はこういう風に考えるからトラックバックをあまり送らないのだ」と一つの結論が出ました。

結論:自分のトラックバック美学に適う記事をあまり書けてないから(自分の実力の不足)

ここは一つ私のトラックバック美学(どういうトラックバックが良いトラックバックであるか)を紹介し、良いトラックバックを増やすためにこの記事で解説していきます。

ここでいきなり美学をうつのは、「4 トラックバックの作法にうるさい人」のところを読んで、作法とか「べからず論」ではなくて、「こうすれば美しいトラックバックを送れますよ」という記事が増えればトラックバックが増えるんじゃないかという思ったからです。

とにかくトラックバック美学講座スタート。



□トラックバック美学講座1:トラックバックは彼我の記事を一つの構造の中に取り込む

私はトラックバックを、「彼我の記事を一つの構造の中に取り込むもの」だと考えています。
通常、記事は書き手と読み手という二者の関係しかありません。他の記事にリンクを貼るにしても、自分の記事の読み手に参照してもらいたいために貼りますので、基本的に二者関係であることはくずれません。

しかし、トラックバックを送る場合は、相手の記事にリンクが貼られ、こちらからは操作できないという意味で、相手の記事との関係と、相手の記事を読む読者との関係が生じます。そうすると、今まで「書き手と読み手の二者の関係」であったものが、「送信元の書き手、読み手、送信先の書き手、読み手の四者関係」という構造に変化します。(下図参照)

こうして現れる構造のきっかけとなるものがトラックバックであり、いかに美しい構造(記事群α)を作り上げるトラックバックを送信するかが、送信者(設計者)の課題になるわけです。


↓「トラックバックは彼我の記事を一つの構造の中に取り込む」の図
左の二つの円が通常の「書き手と読み手の二者の関係」
右の記事群αが「トラックバックが彼我の記事を四者関係に広げ、新しく現れた構造」(読み手Aから書き手Bの点線は、記事Aが記事Bに言及リンクを貼るか否かで現れたり消えたりする)

trackback01.jpg




□トラックバック美学講座2:美しいトラックバックとは

トラックバック講座1の図を踏まえて言うと、私の考える良い(美しい)トラックバックとは、

二つの記事A、Bの知識量の総和より、知識量の多い記事群αを作るトラックバックが、美しいトラックバックである。

ちなみに、トラックバック美学においてはトラックバックで結ばれた記事群の構造だけを見るので、その記事が何に言及しているか、どんな種類の記事であるかは特に関係ありません。

例えば、建設的意見のトラックバックで言えば、そのトラックバックによって読者の脳内で記事と記事の統合がよどみなく進み、新しい記事群の大伽藍が建築されれば美しい。

また批判的意見のトラックバックで言えば、一つとなった記事群を、批判という分解作業を通して、出来上がった記事群の構造を明示し、課題を浮き彫りにできれば良いんです。



□美しいトラックバックを送るには

理屈は簡単です。上の図の「記事群α」を、どういう構造にしたいかを頭の中に思い描いて(設計して)トラックバックを送ればいいのです。

しかし、この「記事群α」の設計が難しい。私はこの設計の段階でよく挫折して、トラックバック送らないままになります。それでもどうしてもトラックバックを送りたいときは、私は以下のように考えてトラックバックを送ります。

上図において私が書き手Aだとすると、書き手B、読み手B、Aの知識が最大化されるように記事を書こうと考えます。具体的に言うと、書き手Bの視点とは別の視点から同じ材料を見たり、書き手Bがあまり突っ込んで説明していないところを補完できるような記事を書きます。

例えば、今回の記事は「他人の不幸は蜜の味:トラックバックをダメにした犯人は誰だ!?」という記事にトラックバックしているのですが、私が今回の記事を美学講座にしたのは、元記事に「どうすれば駄目なトラックバックを良くできるか」という視点をつなげることで、より多面的な記事群αを作りたかったからです。

また、私は言及なし(相手のリンクを張らない)のトラックバックはしないのですが、それは、言及なしのトラックバックは、構造としてあまり美しくないからです。記事群αの構造から得られる知識を最大化するのが目的なのに、片一方の読者しか全体の構造を見渡すことができないのは、どう見ても不恰好であり、美しくない。
だから、トラックバック美学においては、言及なしトラックバックは、美しくないという点において悪です。

以上の美学を頭に入れてトラックバックを送るのと、そうではないのでは、かなりの差が出るはずです。自分の美学を持ってトラックバックを送る人が増えれば、いいトラックバックが増えるはずです。


□後記
疲れました。
自分で書いたのに「変なの」と思いました。
私は今日から耽美主義者です。
posted by ちんこ寺 at 17:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 b_entry.gif

2005年09月04日

牛は倒れているわけではないし、ましてや落ちているのではない 空間認識にまつわる話

最近読んだ記事の中で気になったものについて書きます。

ホットワイアード:研究報告「東洋人と西洋人は世界の見方が異なる」

この記事が非常に面白かったです。

この実験によると、同じ絵を見ても東洋人は背景や全体をより注意して観察し、西洋人は背景よりも前景として描かれているものから注意して見る傾向があるようです。

なんか自分が無意識に課している思考の枠を改めて意識させてくれたような気がしました。


■最近読んだ「マクルーハン理論―電子メディアの可能性」という論文集のような本の、「先史時代の空間概念」(S.ギーディオン)という論文では、同じヨーロッパ人でも現代人と先史時代の人とではまるっきり空間概念が違うということを言っています。

具体的に言うと先史時代の壁画を題材に、先史時代の人たちが私達現代人といかに異なった空間認識を持っていたかが論じられています。

私達は絵を見るとき、たいていは自分から見て下が地面、上が空という認識で見ます。
↓こんな風に。
lascaux.gif


そして、下のような絵を見ると、私達は
「ああ、これは牛が倒れている、あるいは転落している絵だな」
という風に認識します。
lascaux02.gif

しかし、ギーディオン氏によると、先史時代の人は必ずしもそういう認識をしないということらしいです。
つまり、先史時代の人たちは、上下左右の整合性を考えずに絵を描き、見るので、牛がさかさまになっていても、それは倒れている、転落している、そういうことを表しているとは限らないということらしいんです。

なんでも、先史時代に近い生活習慣を維持しているエスキモー(今はイヌイットというようです)は、現代の「垂直、水平面を考慮して物を見る」ことをしないようなのです。

以下、引用。
アイビリク・エスキモーに写真を裏返しに渡しても、彼はそれをひっくりかえそうとはしない。エスキモーの子供たちは紙の上に絵を描いてまだ紙が足りなければ、裏側に残りの部分を描く。(中略)彼らは「形が牙の端に来るまで描きつづけ、それからその牙をひっくりかえして、反対側にその形を完成させるという癖」をもっている。
(マクルーハン理論―電子メディアの可能性 2部4「先史時代の空間概念」 P227)

引用ここまで。

また、先史時代の人たちは時間の枠にもあまり縛られていなかったようで、一つの洞窟壁画が完成するまでに3万年近くかかったものも多いそうです。先史時代の人は、遠い昔に誰かが描いた絵の隣に、何のためらいもなく自分の絵を描いたりしたそうです。
上の図でたとえれば、紀元前28114年に先史時代人Aさんが書いた牛の隣に、紀元前9868年の先史時代人Bさんがイカを描いた、というような例がざらにあるということです。もしかしたら、「絵を完成させる」という概念を持っていなかったのかもしれません。


■上の二つのテキストを読んで、自分が無意識的にいろんなものさし(文字、時間、ディスプレイ、紙、羅線、コメント欄…等々)に拘束されていることに気づき、なんとなくへこみました。
「今自分が気づいていないことは何か」
「今自分が見ていない(聞いていない)ことはなにか」
こういう視点で見ていくと、新しい発見が足元にごろごろ転がっていることに気づいて愕然とするかもしれないと思いました。
posted by ちんこ寺 at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(1) | 博物誌 b_entry.gif

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