2006年04月30日

新着記事から気になる記事を探す旅 その1

■新着記事から気になる記事を探そうと思いました

 最近、閲覧するサイトが固定してきてしまったなあと感じたので、少し自分の世界を広げようと思いました。そこで、各ブログサービスの「新着記事」の中から気になった記事をピックアップしたらどうだろうと思いつきました。



■今回はseesaaの新着記事です

 seesaaの新着記事の「4月30日22:38〜22:40」の50件の記事を一つずつクリックして探しました。結果、引っかかったのは6件です。思ったより多かったです。1件も引っかからないのではないかと心配していたのですが、探す努力を惜しまなければあるもんだと思い直しました。



■選考基準

・他の記事も見てみようかなと思わせる記事

 以上の基準に引っかかった記事をピックアップしました。あまり厳しい目で見ると「採用基準に満たないため企画終了」というような事態になってしまうかもと怖くなったので、他の記事も見てみようかなとちょっとでも思った記事をピックアップすることにしました。


●家庭裁判所へ離婚調停 体験記‐家庭裁判所へ
知らない世界を教えてくれました。しかし裁判に関することは誰にとっても他人事ではないので、貴重です。

●迷惑メールの懺悔部屋‐*ペットお買い上げありがとうございま
迷惑メールの内容が面白かったので、気になりました。

●写真*LiFe‐いままでの写真をふりかえって
何となく写真が気になったのと、自分を振り返る文章が読ませる文章だと思いました。

●アイドル大好き‐NANA -ナナ-
私はおっぱい星人なので、リンク先の写真を大喜びで鑑賞しました。

●栗原ブログ-今日のBGM‐ゴールデンウィークだったのか
文章が読ませるなあと思ったら漫画家の方でした。

●気まぐれクマさんの華麗な日常☆‐古城のほとり、
意味不明過ぎたので、思わず他の記事を見に行きました。


 以上、計6件。
 他にもいろいろ埋もれてる記事があると思いますが、今日はこれくらいにしておきます。「ギレンの野望 ジオンの系譜」をプレイしなければなりませんので。



【5月3日追記】

●気まぐれクマさんの華麗な日常☆‐古城のほとり、

↑こちらについては、記事を書いた当初は、本文に「1」としか書いていなくてミステリアスですごく気になったのですが、今のぞいたら、ちゃんと旅行の感想日記になっていました。だから意味不明ではありません。
posted by ちんこ寺 at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | webの恐怖 b_entry.gif

2006年04月29日

真の排便家にとって、糞尿でないと分かっていて食ったかどうかは問題ではない。

■先日の記事の補足

 先日の記事排泄は官能的美を追求しなければならないにて、小説「好色」に登場する平中(平貞文)という人物を通して排泄の美について語ったところ、以下の反応があった。

「ちょっ、それじゃ平貞文が好きな女のうんこを食いたい人みたいじゃん!ちゃんと薫物である事に気づいてから口に含んでるって!」
神コップBloG_ver.?‐4月24日のニュース

「こちらを読んで確認したところ芥川龍之介の「好色」のあれは好きでうんこがみたかったんじゃなくて嫌いになる為に(恋の病から醒める為に)あえて見てやろうとした、という話であります」
銀河ブログ協会:修行中‐排泄の件
 確かにそのとおりである。青空文庫「好色」のリンクを貼ってはいたものの、どうせ誰もリンク先を精読する人なんていないだろと、タカをくくって話を膨らませたことをここに告白する。また、リンク先もきちんと読んでくれた事に感謝したい。
 しかし、私が世界に発信したかったのは、平中が糞尿そのものを食ったか食ってないか、あるいは糞尿を愛するか愛さないかの話ではない。以下、説明する。



■糞尿でないと分かっていて食ったかどうかは問題ではない

 先日の記事で私はこう書いた。
「やはり排泄の官能美の探究は、見られまいとする恥じらいの気持ちと、暴き見てやろうという凶暴な欲情のバランスの上に成り立つものであり、ここがただの排泄と官能的排泄を峻烈にわけ隔てるものである」
不備日報排泄は官能的美を追求しなければならない
 つまり私が最も言いたかったのは、隠そうとするものと暴き見ようとすものの間に生まれる緊張に満ちたバランスが官能を生み出すということである。糞尿はその緊張を生み出すための数ある道具の内のひとつに過ぎない。



■「好色」は官能美の一つの完成形である

 私が平中の変態ぶりに最も心震わせたのは、侍従の大便の偽者を噛んで確かめたことではなく、侍従への想いと対決するために糞便の入った箱を強奪しようとしたことである。発想が明らかに常軌を逸しており、正真正銘の変態ワールドであるといわざるを得ない。
 考えても見よ。自分の恋心を何とかして落ち着かせたい、諦めたい、自分の心をここまで追い詰める相手に何とかして打ち克ちたい……、こういう心境にあるときに、よりにもよって相手の大便を見てやろうなどと思うだろうか?普通は思わないだろう。これこそ究極の官能の形の一つである。

 隠す恥じらいの心情と、暴き見る卑屈凶暴な感情のバランスの振幅の大きさが官能の美しさを決めるとすれば、相手の大便を強奪して見ること、そしてわざわざ口に含んで本物かどうか確かめることというのは、これ以上にないほどの官能美を現出するはずである。
 普通、自分の大便は隠すものであって、人に見せるものではない。まして自分の大便を狙っている人物の存在など、想像するだけで屈辱的であり、鳥肌が立つほど気持ちが悪い。平中はその屈辱的な環境の中に侍従を巻き込むことによって、自分の恋心に勝利しようとしたのだが、侍従も負けてはいない。

 侍従も変態である。なぜなら、普通は自分の糞便が狙われていると分かったら、箱に厳重に鍵をかけて、人が寝静まる深夜にひそかに捨てに行くはずである。それをわざわざ偽物を作って平中に発見させるというのは、平中をはるかにしのぐ大変態である。

 また、この物語を書いた芥川龍之介も天下の変態であるといわざるを得ない。特に下記に引用した部分は私が最も心震えた部分であり、じっくり読んでいただきたい。

 平中はわなわな震へる手に、ふはりと筐の上へかけた、香染(かうぞめ)の薄物を掲げて見た。筐は意外にも精巧を極めた、まだ真新しい蒔絵(まきゑ)である。
「この中に侍従の糞(まり)がある。同時におれの命もある。……」
 平中は其処に佇んだ儘、ぢつと美しい筐を眺めた。局の外には忍び忍びに、女の童の泣き声が続いてゐる。が、それは何時の間にか、重苦しい沈黙に呑まれてしまふ。と思ふと遣戸や障子も、だんだん霧のやうに消え始める。いや、もう今では昼か夜か、それさへ平中には判然しない。唯彼の眼の前には、時鳥(ほととぎす)を描(か)いた筐が一つ、はつきり空中に浮き出してゐる。……
青空文庫「好色」より一部引用
 どうだろうか?
 まず大便を入れた箱を描写するのにいちいち細かすぎるほど丁寧に書いている。芥川さんはここを書きたくてこの小説書いたんじゃないかと思うくらいである。平中の命たる「侍従の大便入り箱(偽物)」は「ふはりと筐の上へかけた、香染の薄物」がかけてあり、それをめくると「真新しい蒔絵」が施されている。さらに時鳥のデザインのイメージとともに浮遊しだす箱。このくだりを読むだけで、芥川さんが舐め回すように、またはむさぼるようにして、うれしそうに「侍従の大便入り箱(偽物)」を描いてる姿を、ありありと想像できる。
 そして忘我の境地のはるか外で聞こえる「女の童の泣き声」が、陵辱的な演出にまた別の危うさを添えて引き立っている。

 ここまで徹底的にお膳立てされてしまっては、平中も偽者本物に関わらず、口に含まざるを得ないではないか?本物か偽物かなどどうでもよく、口に含むことに意味がある。もう平中は忘我の境地だったのだから、もしかしたら感覚がおかしくなっていただけで、実際は本物を口にしていたのかもしれない。しかし、哀れな平中には小便のにおいが丁子の煮返した匂いに、大便の味が苦味の交つた甘い味にしか感じられなかったのかもしれない。そして勝手に悶死したのかもしれない。
 そうだとしたら、はたから見れば平中は発狂して突然死したとしか見られないだろう。侍従の小便にまみれ、大便を口に含んだまま発見される平中の変死体。平安京ミステリー。しかし、平中にとってそれらは丁子と橘の香りに包まれた桃源郷なのだ。

 つまり、忘我の境地に立った平中にとっては、箱の中身が本物か偽物かなどどうでもよいのだ。



■今週のお題

 さて盛り上がったところで、ブログ文章術のマネをして、みなさんにお題を出ます。やはりこういう話題はより多くの人のさまざまな角度からの意見が出されるのが面白いと思うからです。
 

お題
「あなたは、侍従の箱は本物入りか偽物入りか、どちらであるべきだと思いますか?またその理由や、あなたの官能に対しての信念を述べなさい」


 この設問に正解不正解は一切ありません。自分の記事が糞尿まみれになってもいいという勇気のある方は、この記事にトラックバックして大いに語ってください。
posted by ちんこ寺 at 02:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 妄想 b_entry.gif

2006年04月23日

排泄は官能的美を追求しなければならない

■私は排泄を好む

 参考:
ネット上の排泄行為
排泄‐Wikipedia

 私は排泄を好む。特に糞便を排泄する排便を好む。やはり排便の妙は、一に大きな糞をひり出してやったという達成感にあり、二に大便が直腸や肛門を通る際の爽快感である。これらの妙味があるからこそ、私は排泄行為そのものを好むということ、そして排泄そのものは決して悪ではないということを、世界に発信したい。



■排泄は官能的美を追求しなければならない

 また、排泄には官能的な美の探求というたしなみ方も存在する。これは上記の単なる排泄行為自体の楽しみよりも複雑であり、より高度なたしなみであるといわなければならない。そしてこの官能的美の追求をよく行っているのが芥川龍之介の「好色」である。

青空文庫「好色」

 さすが芥川龍之介といわざるを得ない。私は十代のころこの「好色」を読み、その変態ぶりに度肝を抜かれ、心を奪われたことを今でも覚えている。意中の女性の大便を強奪してそれを口に含んだところ、それが香木でこしらえた精巧な偽者であり、口の中に広がる芳香の中で絶望のあまり昏倒する平貞文。およそ凡夫のまねの出来るところではない。
 やはり排泄の官能美の探究は、見られまいとする恥じらいの気持ちと、暴き見てやろうという凶暴な欲情のバランスの上に成り立つものであり、ここがただの排泄と官能的排泄を峻烈にわけ隔てるものである。
 排泄は非常に奥深い世界を持つ。



■美しい排泄をするために

 排泄にも官能と美が存在する。そしてその官能と美を探究するために注意しなければいけないことをここに記す。

1.排泄は基本的にトイレでする
2.排泄後はきちんと後始末をする
3.後始末に失敗した時は、その旨を次の人に伝え謝罪する
4.人のところで排泄する時には「トイレお借りします」ときちんと言う
5.人のところであまり長々と垂れ流さない
6.恥じらいの気持ちを忘れない
7.公衆の面前で糞を垂れ流し恥じるところのない者は排便家の敵である
8.もらした時にはその旨関係者各位に告知し、謝罪する
9.すかしっ屁は言語道断
10.排便を嫌う人に趣味を押し付けない

 以上、排便家は恥じらいの気持ちを忘れずに排便の快楽を求めつづけるべし。まちがっても恥じらいの気持ちを忘れ、他人の迷惑を顧みない振る舞いをしてはならない。 
posted by ちんこ寺 at 22:08 | Comment(5) | TrackBack(1) | 妄想 b_entry.gif

2006年04月18日

ネズミーランド嫌いによるネズミーランド賛歌

■序

 これは、妻のたっての要望で、毛嫌いしていたネズミーランドに行った男性の、心の叫びをありのままに記録したネズミーランド賛歌である。



■第一章 ワールドバザール

舞浜駅甘ったるい匂い一体なんだこの匂いは今すぐやめさせろ。ゲートをくぐるとそこは虚偽の国でした。くま捕食動物発見、ラッパ突撃ラッパ着剣突撃せよ突撃せよアメリカ資本主義帝国の動物の首風船多数、シンデレラ城鉄骨近代要塞化旅順似非夢帝国、写真撮影の火網十字砲火、段差反バリアフリー(こけた)。



■第二章シンデレラ城(工事中)近辺〜アドベンチャーランド

劇場NHKっぽさ、重機シンデレラ城工業地帯近世と近代の不協和、アドベンチャーランドのフロンティアスピリットの影に少数民族の悲劇はどうしましたか?シッボの生えた人類歩行中(つがいの客)耳の進化(客)亜人化、進化?



■第三章 ウエスタンランド:キャプテンフックスギャレー

日本人に配給を思い出させるための行列行列行列、喜んで配給の列に連なる人々、学校いかないで何やってるんだお前ら(小中高校生全部です)、行列の先頭でお待ち下さいとはどういうことですか?優良サービスに惑わされる家畜客、テーブル不足立ち往生、ピザはうまい、家父長制の否定、かぶりもの公認国家鼠ーランド。



■第四章 ウエスタンランド:蒸気船マーク・トウェイン

ベビーカー天国、男が鼠の耳をつけるとキモい、鼠帝国帝政鼠waste please、何で手を振ってるのあの人達?宇宙生物のかぶりもの、鴨発見子供絶叫【論説】何故ディズニーのかぶりものを男性がかぶると気持ち悪いのか、真ん中の島に行くには陽気な船乗りの相手をしなければなりませんので憂鬱ですだからカヌーには乗りません。鴨にとっては楽園天敵はおらず餌は無尽蔵パラダイス、マーク・トウェイン号星条旗星条旗星条旗星条旗、タイタニック流行ってた時に絶対舳先で例のポーズやってた奴いたぜ?何を与太話しているんだ、キャプテン、岸部を埋め尽くすコンクリートは何ですか?鴨いっぱいいるね、インディアン居住区、アメリカ川ということはキャプテンはキャプテンアメリカなのですか?とうとう眠くなってきた。



■第五章ウエスタンランド:シューティングギャラリー〜シンデレラ城

クレーンの鉄骨が回ってるけどあれもアトラクションですか?乞食かと思ったらパレードの場所取りでありまた、走るなガキ、子供の教育がなってない鉄拳制裁して差し上げたいです。射的の親父(精巧な張りぼて)に連続射撃で8発も撃ち込んだのに死なねえぜ、銃向けられて余裕ぶっこいてるほうが悪いんだ、隣で撃ってた白人青年がビビって振り向いた。"he is a crazy!"と思ってただろ銃社会アメリカ、酒とタバコがダメで何で銃がいいんだよ?、夢と魔法の国(嘘)シンデレラ城付近にて植物謎の大量死?公害?枯葉剤作戦?空飛ぶ象に乗って喜ぶホモ・サピエンスの成獣、猿とミラーボール【問】かぶりもの増えたよね【答】増えたのではなく、割合が多いのだと思う。多分平日に来る奴は本物(真性鼠中毒)が多くて、本物は気合い入ってるから、かぶりものをかぶる人数が多いんだよ。



■第六章ファンタジーランド経由トゥモローランド

水呑場を探せ、また尻尾型人間?トゥモローランドで遺伝子組み替えされた?ほら宇宙生物の剥製だよ、何だあの着ぐるみは何かの間違いか?なんだこの匂いは?ポップコーンか…。



■第七章 トゥモローランド〜シンデレラ城近辺

素敵なパレードがはじまるらしいぜ、似非SFランドか、水呑場発見よかったよかった、喫煙所あるんだね、変な機械で製造されるチュロス、プラネットエイプ?ああプラネットエムか、パレードとやらで道路が封鎖されました、写真撮影待ちの行列キモい、工事中のシンデレラ城を背景にパレードを見る違和感、近代の矛盾を体現、最も優れたアトラクションは工事中のシンデレラ城であり、いっその事インダストリアルエリアを作れ、そうすれば工事中のままでいても高いクレーンがあっても問題ないだろ。



■第八章 15:00のパレード(シンデレラ城近辺)

おいパレードがきやがったぜ、本当に胸糞悪いぜ、ハッピー野郎どもめ、変なオブジェで練り歩きの刑、うっせえバカネズミ、おい、一緒に手を振ってる奴が沢山いるぜ、うるせえ、胸がむかむかする、家畜動物とデイドリーマー悪魔の行進、いつまで続くんだこれ、ネイティブアメリカンをパレードに出して歴史を美化、いかれたサボテン野郎、グーフィーとプルートの進化の分かれ目はどこだったわけ?なんだあのハッピーなワニどもは、変なSFローラースケート、光GENJI?バズ・ライトイヤーと謎の物体X、イカれたポンコツとピクサーのキャラクター。勝手に使ってるんじゃないだろうな、多幸症じみた薄ら笑いを何とかしろ、おい聴いてるのか早く顔に知らせろ、動物のコスプレ発見。劇団四季?罰ゲーム?鳥や蝶々の格好でばかげた踊りの罰ゲーム、変なメルヘン登場キモい。いやマジで、メスネズミ死ね手を振るな、NTTDOCOMOの周りに妖精さん乱舞、やっと終わったか、おい回り込んでまた見るのか?頼むやめてくれ、何だありゃ?客がパレードに付いてってるぞ、反戦デモ?春闘?ワールドピース?本当にやめてくれやめてくれやめてくれ。変な乗り物の上からメスネズミが薄笑いしながら言ったお前らは永遠にばかげた幻を見ていろそしてちゃんと金落として帰れよ。



■最終章 ワールドバザール〜栄光のEXIT

今度こそ終わったか、よかったよかった。ネズミの亜人とウォルト・ディズニーの銅像、やった!やっと帰れる!アリカトウアリカトウネズミサン!

posted by ちんこ寺 at 20:36 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 b_entry.gif

2006年04月16日

ライオンとシマウマのたとえ話とシマウマ進化論

■ライオンとシマウマの話に興味を持った

分裂勘違い君劇場‐「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し
ブロシキ‐論理とかコミュニケーションとか

 以上の二つの記事で取り上げられている「ライオンとシマウマ」のたとえ話に興味を持った。なぜ興味を持ったかというと、ホモ・サピエンスの後天的な個体差の問題である「空気を読む」というどうでもいい問題から、ライオンとシマウマの自然界における関係というより高度な、より本質的な概念へとアウフヘーベンされているからである。この点については、たとえ話を持ち出した分裂勘違い君劇場のfromdusktildawn氏と、数ある論点の中でライオンとシマウマの話を選んで話題を広げたsantaro_y氏の見識の高さを賞賛しなければならない。

 そこで私も、ライオンとシマウマと大自然の理について(特にシマウマの進化について)、おおいに語りたいと思う。



■二つの記事のまとめ

 さて本論に入る前に、上記二つの記事がライオンやシマウマ(大自然)についてどのように記述しているかを以下のようにまとめる。

分裂勘違い君劇場
・シマウマにとって、ライオンは、悪そのものである
・なぜ、歯と筋力が悪になったのかというと、シマウマの歯と筋力が、ライオンの歯と筋力よりも劣っているからだ
・ライオンにしてみれば、歯と筋力は、善である。なぜなら、自分の歯と筋力が優れているからだ
・歯が強く筋力が強靱ということは、一般に、生物にとって「良い」ことである
・ライオンの価値観というのは、生命を謳歌するためのポジティブ要因を善とする価値観
・シマウマの価値観というのは、生命を謳歌するためのポジティブ要因を、悪だと考える価値観

ブロシキ
・なぜシマウマはライオンを目指さなければならないのか?
・進化の世界は何らかの要素を指して「一般にポジティブな意味」とはどうも言えそうにない
・草食動物は肉食動物がいなくても生きていくのに困らない
・肉食動物は草食動物なくして生きていくことができない


 以上を踏まえて、私がこの記事で言及したいことは以下のようである。
・草食動物は肉食動物がいなくなると困る場合がある
・進化における有利不利は周りの環境の変化によって大きく変化する

 順番に説明していく。



■草食動物は肉食動物がいなくなると困る場合がある

 まず下記のリンクを参照し、実際にflashで遊んでみてもらいたい。

生態系ピラミッドのシミュレーション

 このシミュレーションは、リンク先の記述にもあるとおり、正確なものではない。しかし、生態系のバランスを大略において知るためには非常に優れた教材である。
 ここで表題の「草食動物は肉食動物がいなくなると困る場合がある」の話しに入る。まずシミュレーションのピラミッドのうち上から三つ(肉食動物)を0にしてみて欲しい。そうすると一旦上から4段目(草食動物)の層が大きくなって、やがて最下部の植物の層が縮むにつれて、一緒に消滅してしまうのが分かると思う。つまり、肉食動物がいなくなると、草食動物は一時的に数が増えるが、やがて食料を食い尽くして飢え死にしてしまう場合があるのだ。もちろん植物が豊富にあって余り影響のない場合や、草食動物が雑食性に進化した場合など、絶滅を回避できる要因はいくらでもあるが、いずれにせよ草食動物には大きな危機が迫るので、肉食動物がいなくなると困る場合があるということが分かる。



■進化における有利不利は周りの環境の変化によって大きく変化する

 ここより本論に入る。
 私はライオンとシマウマのたとえ話と、草食動物は肉食動物がいなくても生きていくのに困らない、という話を読んで考えているうちに、一つの魅力的な発想に取り付かれた。

「もしライオンをはじめとする捕食者がいなくなったら、シマウマはどのように進化するだろうか」

 捕食者がいなくなったアフリカの大平原で、食物を食べつくすことによる絶滅の危機からシマウマが生き残るとしたら、どのような進化を遂げるだろうか?ということを、これから順を追って述べてゆきたい。


21世紀初頭 アフリカ中央部 サバンナ地帯

 ライオンをはじめとする肉食動物に謎の奇病が蔓延、アフリカ大陸の肉食動物は死に絶えた。そこで多くの草食動物が天敵のいない世界で子孫を増やし、繁栄をはじめるかに見えた。


22世紀初頭 アフリカ中央部 旧サバンナ地帯

 かつて一面の草原であったサバンナの大地も、荒れ果てた地肌をあらわにし、草一本生えない荒地に変わってしまった。ごく少数のバオバブ等の乾燥に強い木がまばらに散らばっている程度である。
 この状況下で多くの草食動物に強力な淘汰圧がかかり、ほとんどの種が絶滅の危機に瀕した。そこでシマウマには二つの異なった進化の兆しが現れはじめた。一つのグループは首が長く伸び、木の実や葉を食べるようになり(クビナガシマウマ)、もう一つのグループは、体高が低くなり、地下茎を掘り返して食べるようになった(ツチシマウマ)。


25世紀初頭 アフリカ中央部 旧サバンナ地帯

 21世紀に存在したシマウマはすでに絶滅した。そしてかつて二つのグループに枝分かれした新しいシマウマたちの中でも、クビナガシマウマが自然の淘汰に負けて、いま滅び去ろうとしている。
 食料となる草の欠乏から、より高いところに成る木の実や葉を食料に選んだことで、徐々に首を伸ばし、新しいニッチに収まったかのように見えたクビナガシマウマだったが、ここに強敵が出現した。
 キリンである。
 キリンはクビナガシマウマが首を長く伸ばす前から木の葉を食べており、減少した食料をめぐって新参者のクビナガシマウマに熾烈な食料確保の戦いを仕掛けてきたのだ。
 それにたいしてクビナガシマウマは首こそ長くなったものの、心臓のポンプ圧を強くさせることが出来なかったせいで、長時間首を立てることが出来ず、少し葉を食べては頭を下げてやすめ、また食べては休めの繰り返しをしないと貧血で倒れてしまうという弱点があった。
 ここにおいてクビナガシマウマはキリンとの食物確保戦争に敗れ、次第に個体数をへらしていった。

 一方ツチシマウマは、あまり競合のいない中で地下茎を食べ続け、独自の進化を遂げていった。体高はますます縮み、前足のひづめに凹凸が出来始めた。これは新しい指の誕生の兆しである。
 かつてウマ科の動物は足の指を減らすことによって速力を増し、肉食動物から逃れる能力を磨いていった。しかし今はもう肉食動物はいない。そこで逆に指を増やす方向に進化しだしたのだ。地下茎を掘るためには、一本指の蹄ではやりづらい。そこで、蹄に凹凸のある個体がより上手に土を掘ることができ、より多くの食料を手に入れることが出来るようになった。
 しかしツチシマウマにも脅威がある。雨季である。多くの草木が受け皿になって水を吸収してくれていた遠い昔と違って、今は頻繁に洪水が起こり大地を埋め尽くすことが多くなった。この時期になると逃げ遅れた仲間が大量に溺死する。今のツチシマウマにはこの洪水に対処する能力は無い。しかし、いつの日かこの大自然の驚異を克服する進化を遂げるに違いない。


30世紀初頭 アフリカ中央部 旧サバンナ地帯

 いまやクビナガシマウマは完全に絶滅した。長い首に血液を送る心臓をどうしても強化できず、キリンとの熾烈な食糧確保の争いに敗れ去ったのだ。

 ツチシマウマは相変わらずツチを掘って地下茎を探している。しかし、その外見はウマとは似ても似つかないものになっていた。
 体長約30センチ、全体的な形は、モグラに似ている。蹄から進化した強力な前足にはツチを掘るための鉤爪がついており、より深く、より短時間でツチを掘れるようになった。また、後ろ足の腿や前足の脇の部分に折りたためるようになった皮膚のたるみが出来ている。これは雨季の洪水の際に水の流れをとらえて泳ぐように進化したしるしである。他にもピンとたっていた耳は後方に垂れて首に密着し、その首も極端に短く、体の形は全体的に流線型に変化している。かつてこの動物がシマウマであったことをほのめかすのは、体表を覆う黒と白の縞模様だけである。
 シマウマやクビナガシマウマはもう死に絶えていない。しかしツチシマウマはこの生き残りをかけた戦いに勝利し、新しい自然環境に適応した。彼らはこれからも、自然の淘汰圧にさらされながら、新しい進化の道を歩むことだろう。



■最後に

 以上、私が書きたかったのは、架空のシマウマ進化物語である。みなさん本当にありがとうございました。

主要参考文献:
wikipedia-シマウマ
wikipedia-キリン
wikipedia-サバナ気候
wikipedia-クアッガ
多様性を求めての旅‐動物について‐シマウマ
生物のサバイバル戦略−共進化
posted by ちんこ寺 at 17:56 | Comment(4) | TrackBack(1) | 妄想 b_entry.gif

2006年04月15日

HDD型人間未来世界の年表を作りました

■前回の記事の年表を作りました

 前回の記事「HDD内臓型人間の未来像をマンアフターマンっぽく熱く語る記事」を書いた際に、非常に充実した気持ちになったので、この記事をもう少し掘り下げて年表を作ってみようと思いました。それで早速作りはじめ、ついさっき出来ました。

HDD搭載人間進化の図.JPG


 やっぱり私はこういう妄想全開の記事を書いている時や、妄想全開の作品について感想を垂れ流す記事を書いている時が一番楽しいですよ。銀河ヒッチハイクガイドの記事と前回の記事を書いた時の充実感を思い起こし、改めてそのことに気づきました。本当にありがとうございます。
posted by ちんこ寺 at 00:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 妄想 b_entry.gif

2006年04月14日

HDD内臓型人間の未来像をマンアフターマンっぽく熱く語る記事

原案:takoponsの意味‐HDDが人体に内蔵されたら、それは内臓になるのか?

マンアフターマン(絶版)について知りたい人はアフターマンワールド「マンアフターマン」コーナーをご覧ください。amazonにも詳細が載ってます。



■200年後 HDD内蔵型人間の誕生

 西暦2207年、人類は進化の転換点に立った。HDD(ハードディスクドライブ)と脳髄の結合によって、第二の脳を手に入れることに成功したのだ。これにより、人類は脳腫瘍やクモ膜下出血等の難病や脳死の危険からようやく開放された。

 また、HDDと脳髄の結合は医療の他にさまざまな分野に影響を与えた。HDD移植患者の記憶能力の飛躍的な向上は、人類の限界を押し上げ、新たな進化への道標となった。しかし、この時期のHDD移植技術は未だ一般に普及しておらず、ごく一部の富裕層にしか広まらなかった。またHDDの故障による記憶障害や、漏電による突然死などの事故も発生し、安全性において懸念する声や、宗教、倫理的な面からの反発も大きかった。



■300年後 格差の拡大と新技術

 電脳移植技術はここ100年の間に飛躍的に進歩し、術後の生存率も大幅に改善した。また、新技術の開発により施術あたりのコストも引き下げられ、先進国を中心に広く一般にもHDD移植技術が行われるようになった。

 これに伴い、純粋な医療目的ではないやり方での技術の応用が盛んに行われるようになった。例えばHDD移植による脳の大幅な記憶力増加作用は社会階層の再生産の格差拡大をもたらした。金銭に余裕のある家庭では、子女の就学前にHDD移植手術を施し、詰め込み式学習で圧倒的な学力を身につけさせて、より高い学歴を与えられるようになった。その一方でHDD移植を施す金銭的余裕のない家庭に育った子女は、HDD移植者に対して記憶能力において全く歯が立たなくなり、学歴の格差が拡大していった。

 また、この時期になるとHDD以外にも多くのパーツを人体と融合させる技術の研究が進んでおり、CPU移植者や無線LAN移植者など、多くの移植者が現れるようになった。

 さらにダウンロード技術の発達により、人間の記憶や経験をハードディスクに保存し、他の人間に移植することも出来るようになった。最初の成功例は2307年で、ピアノを弾けない被験者に、ピアニストの経験を搭載したHDDを移植したところ、リストの超絶技巧練習曲の4番「マゼッパ」・5番「鬼火」をたちどころに弾いたとの記録が残っている。



■500年後 人類の二極分化

 200年前よりはじまった格差拡大は、このころになると決定的なものになっていた。人類はいまや、数多くのパーツを増設した「新人類」と、旧態依然の生体しか持たない「旧態人」に分かれてしまった。もちろんこの二つのグループは、交配すれば子孫が出来るという点では同じ人類である。しかし、社会的断裂はもはや埋め戻すことの出来ない段階にまできていた。

 「新人類」は政府や軍、大企業の要職を独占し「旧態人」を支配するようになった。また脳の大部分をパーツで代用できるようになった「新人類」は、老化する肉体を取り替えれば半永久的に生存可能になった。そこで旧態人から肉体を買い取る人身売買が流行するようになった。この人身売買は永遠の命を得たい「新人類」と、売買によって富を蓄え移植手術を受けて「仲間入り」を果たしたい「旧態人」との双方の思惑が合致したお陰で、ほぼ公然と行われた。一部の心ある人間の反対意見はことごとく無視された。



■1000年後 肉体の放棄

 長い間不可能とされてきた人格のパーツへの移植が、ついに実現した。これによって人類は肉体から離れて純粋に意識のみとして存在できるようになった。そしてついに人類は不老不死を手に入れたのだ。

 また、肉体を離れることにより五感は必要なくなり「人間」のあり方もそれ以前と比べると劇的に変化した。容易に交換できる知識や技術、経験は「人間」から固有の人格を奪った。人々はその場に応じて適切な知識や経験を選び、服のように着脱した。知識や経験の共有が進むうちに、肉体にとらわれていた人格は溶けて融合し、一つの完成された知性となった。おそらく1000年前の人類が彼らと出会ったならば、彼らを神と呼んだかもしれない。

 一方で肉体を持ったままの「人間」も少数ながら存在した。彼らは最後まで「機械に魂を取り込まれること」を嫌悪し拒否した人たちだった。彼らは数百年の間、使い捨て容器、家畜などといわれてさげすまれていた人たちの末裔である。
 彼らのごく一部は「神」のメンテナンスを行う技術者として生き、残りは文明の恩恵から見捨てられ、自然とともに生きる道を選んだ。



■10000年後 肉体への回帰と破滅

 一万年の間、人類は平穏な暮らしを享受し続けた。「神」となった人たちは不老不死のまま生き続け、文明から見放された人たちは、その数を減らしていったが、ある一定の限度で安定し、それ以降は進歩も後退もせず、小規模な農耕牧畜生活を今も続けている。

 しかし、異変が起こった。「神」の入れ物となる機械の故障が目立ちはじめたのだ。「神」はその全能たるCPUでもって原因を究明、修復しようとしたが、全く役にたたなかった。9000年の歳月のせいで、「神」の処理能力ではもはや修復不可能なまでに「入れ物」にガタが来ていたのだ。人類が肉体を捨てて以来、科学技術は9000年前より停頓し、全く進歩しなかった。もちろん小規模な修繕は何回となく行われてきたが、肉体を持った技術者たちが最初の千年紀の間に滅んでから、ほとんど野放し状態になっていたのがいけなかった。
 もはや「入れ物」の崩壊は免れなかった。仕方なく「神」は生物工学の知識を使ってかつての肉体を復元し、有限の命をもつ存在となって生き延びることにした。しかし、かつての文明の知識を完璧に引き継いだ新しい人類も、生き残るためにどうやって肉体を動かせばいいのか、その感覚を完全に喪失していた。このために肉体に戻った「神」たちは子孫を残すことが出来ず、100年を待たずして絶滅した。

 一方で文明から見捨てられた人々は「神」の絶滅のことなど知る由もない。彼らが「悪魔の城」と呼んで近づかなかった建造物から突然人間たちが現れて、いつの間にか死に絶えたことなど全く知らなかったし、知ったとしても恐れて近づかなかっただろう。彼らは今後も病気や猛獣、天災におびえながら、短く危険に満ちた一生を生きて子孫を残していく。一万年前の知識は、今や完全に失われた。彼らがまた文明を手に入れるまでには、まだ多くの歳月が必要になることだろう。

‐‐‐完‐‐‐
posted by ちんこ寺 at 02:16 | Comment(0) | TrackBack(1) | 妄想 b_entry.gif

2006年04月10日

銀河ヒッチハイクガイドのイギリス版とアメリカ版の違いを思いっきり書き殴りたいです

注意…この記事は「銀河ヒッチハイクガイド」原作小説と英国テレビドラマ版とハリウッド映画版を総覧した人以外にはわかりづらい記事です。また、作品の内容について深く触れますので、それを知りたくない人は読まないでください。

参考:wikipedia-銀河ヒッチハイクガイド



■私も銀河ヒッチハイクガイドを見ましたよ?

 ネコプロトコル‐銀河ヒッチハイク・ガイドを見たにて、銀河ヒッチハイクガイドの感想が書かれていました。素晴らしいことです。しかし一つ異論があります。

『映像集団Shynola作の「銀河ヒッチハイク・ガイド」のビジュアル』

 ↑これが見所の一つとして上げられていましたが、同じ銀河ヒッチハイクガイドのビジュアルならば、テレビ版の「銀河ヒッチハイク・ガイド」のビジュアルの方がよっぽど優れています。私は映画版のヒッチハイクガイドを見て残念だったことの一つは「銀河ヒッチハイクガイド」のビジュアルだったわけですから、オーシマさんにテレビ版銀河ヒッチハイクガイドを貸してあげたいくらいの気持ちでいます。もちろん実際には貸しませんが、あなたの知らないところに間違いなく良いものがありますから、是非騙されたと思って見てくださいという気持ちでいっぱいなのです。Amazonで売ってるので、是非買ってみてください。



↑左から順番に「原作」「イギリスのテレビ版」「アメリカの映画版」です。



■本題:イギリス版やらアメリカ版やらの話

 イギリスのTVドラマ版とアメリカの映画版を見比べて思ったことを書きます。まず結論から書きます。

結論:イギリス版の感覚には諦めの美学が深く根ざしているけどアメリカ版にはそれがないんだなあ。寂しいなあ。

 なんで結論のように思ったかというと、イギリス版とアメリカ版の銀河ヒッチハイクガイドの結末が、あまりにも異なっていたからです。簡単に言うと以下のようです。

1.アメリカ版にはゴルガフリンチャム人が出てこない
2.イギリス版では完全復活しない地球がアメリカ版では簡単に完全復活する



■なぜゴルガフリンチャム人が出てこないと「結論」みたいな話になるのか?

 ゴルガフリンチャム人の説明をしましょう。原作小説によると、ゴルガフリンチャム人は現生人類の祖先で、母星であるゴルガフリンチャム星から間抜けな形で追放された「役立たずども」という設定になっています。現生人類はゴルガフリンチャム人の中の「役立たずども」の末裔ということになっているのです。
 テレビ版では主人公のアーサー・デントとフォード・プリーフェクトは不可能性ドライブのせいで遠い過去に飛ばされ、ゴルガフリンチャム人の宇宙船の中に放り込まれます。そして宇宙船が墜落する先が太古の地球なのです。そこでアーサーたちは嘆きます。
「こんな美しい星が役立たずどもに占領され、200万年後にはヴォゴン人の手によって壊されるなんて」
 遠い過去に飛ばされたアーサーたちは地球の破壊を防ぐために何の手立を講ずることもできません。あまりに昔に飛ばされたため、バックトゥザフューチャーのような小細工が全く効かないのです。そしてはじめに嘆き、次には諦め交じりの穏やかな境地に至ったところで、ルイ・アームストロングの「What a wanderful world」の曲とともにテレビ版の幕が下ります。何の救いもありません。

 翻ってアメリカの映画版をみると、だいぶ様子が違ってきます。映画版ではアーサーたちは過去に飛ばされず、従ってゴルガフリンチャム人は登場せず、ヴォゴン人に破壊されたはずの地球は「バックアップを取っていたから」という理由で破壊直前の状態に復旧されます。もちろん地球上の人類を含めた生物もすべて元通りになります。

 もちろん地球復旧とともにあらゆる生命が復活するシーンは美しかったですし、地球復旧の理由が「バックアップを取っていたから」というのは現代風にアレンジされた非常に秀逸なアイデアだと思いました。しかしこのシナリオだとすべてが丸く収まってめでたしめでたしになってしまい、原作にある「諦めを前提にして自分の運命を笑い飛ばす微妙な陰影」が見事に消し飛んでしまっています。配給会社の意向とぶつかり、時には妥協しながら作った製作者サイドには同情しますが、映画版にはもうちょっと原作の持つ微妙な諦めの陰影を再現して欲しかったなあと思ったのです。

 あと細かいところでも最初のフォード・プリーフェクト登場のシーンでバイパス工事の監督者の役人との掛け合いが面白いのにそこが無残にカットされているなどいろいろ不満はありますが、総じて言えばやはりアメリカ版にはイギリス版にある「諦めの美学」が全く感じられないのが残念だなあと思うのです。



■最後に

 オーシマさんのいう「原作を知らないとつまらないと評価される映画だと思う」という意見には諸手を上げて賛成です。本当にそう思います。だから皆さん是非原作を読んでください。本当に面白いですから。
posted by ちんこ寺 at 22:52 | Comment(0) | TrackBack(1) | 鑑賞記 b_entry.gif

2006年04月05日

シロッコさんを賛美する記事(旧:18禁:nanaのための異常世界の深遠講座)

※注記…この記事は2006年4月9日から、シロッコさんを賛美する記事に変更になりました。(4月9日、ちんこ寺記す)

■講座を作ってくれとの要望をいただきました

 ・.。.*nana ☆ super win *.。.・(β版)‐nanaからお願い(はあと♪)において、平素からコメントを書き込んでくれているnanaさんから「nanaの為の○○講座を書いてほしいなあ」という要望がありました。そこで、私が講座を作ってあげようと思いました。
 さて問題の「講座のテーマ」ですが、○○ではよくわからないので、こちらで勝手に決めました。題して「18禁:nanaのための異常世界の深遠講座」です。



■18禁:nanaのための異常世界の深遠講座

 以下のメニューから好きなものを選んでコメント欄で質問してみてください。そうすればちんこ寺が異常世界の深遠から湧き上がってきて質問に答えてくれます。

メニュー
・SM(Sadism and Masochism)ウィキペディア参照
・フェチシズム(Kenさんが詳しいと思います)
・リー・アーメイ氏
・永田町の触手yahoonews参照
・魔法が使える少女
・蝕

他にもいろいろありますが、書き手も読み手も気分が悪くなること請け合いなので、今はここに書きません。nanaさんが熱心に勉強すればおいおいテーマを広げていこうと考えています。しかし、熱心に学ぶ気がなければ、何もえることはできないでしょう。異常世界の深遠に触れられるか、今のまま中途半端に終わるか、それはnanaさんの気持ち次第です。また、もし立派に異常世界に浸って卑小な自我を崩壊させることができれば、sweetloveさんもあなたを許してくれるかもしれません。

追記:この記事はnanaさんだけじゃなくて、ほかの人もコメント大歓迎です。たとえば「魔法の使える少女は2作目がぴか一だね」とか「俺なんかもう蝕だけ100回くらい読み返したよ」とか言う人大歓迎。
posted by ちんこ寺 at 23:22 | Comment(24) | TrackBack(2) | 日記 b_entry.gif

文章を読みやすくせよとの課題に答える

■課題

 ブログ文章術 米光一成|Excite エキサイト ブックス : 一文を短くって言うけどさ1にて、下記の文章を「センテンスを分けて、読みやすくしてみよう」という課題が出ていたのでやってみた。
お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。


■回答

 以下のようになった。
お皿ひとつひとつに、以下のものを取り分け、盛り付けた。

1.「それぞれ」
2.「ハムや卵」
3.「パセリ」
4.「キャベツ」
5.「ほうれんそう」
6.「お台所に残って在るもの一切合切」
7.「いろとりどりに」
8.「美しく配合させて」
9.「手際よく並べて出すのであって」
10.「手数は要らず」
11.「経済だし」
12.「ちっとも」
13.「おいしくはないけれども」
14.「でも食卓は」
15.「ずいぶん賑やかに華麗になって」
16.「何だか」
17.「たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ」

以上、計17品目。


■解説

 課題の文章は、いたずらに句読点が多く、どこからどこまでが主語か分からなかった。そこで課題文を何回も読み返し、頭を振り絞って考えたところ、この文章は「お皿に何かを取り分けたことを表現した文章」であることに気づいた。
 そこで課題文「お皿ひとつひとつに」以降の句読点で区切ってあるものすべてに番号を振って分別し、一つづつお皿に取り分けて並べてみたものが上記の「回答」である。
 しかし、一つ困ったことが生じた。お皿一つ一つに取り分けられる物どものうち、いくつかが私の知らない、意味の通らない謎の名前になってしまったのだ。
 その問題を解決するために、私は私の知識を超えた謎の名前にそれぞれ実体を与えてやり、上記回答文に付け加えることにした。



■回答2
私の知識を超えた謎の名前に写真や絵をつけて、それぞれ実体を与えた。これでいくぶんかは分かりやすくなったと思う。
お皿ひとつひとつに、以下のものを取り分け、盛り付けた。

1.「それぞれ」 sorezore.jpg
2.「ハムや卵」
3.「パセリ」
4.「キャベツ」
5.「ほうれんそう」
6.「お台所に残って在るもの一切合切」 odaidokoroninokottearumono.jpg
7.「いろとりどりに」 irotoridorini.jpg
8.「美しく配合させて」 utsukushikuhaigousasete.jpg
9.「手際よく並べて出すのであって」 tegiwayokunarabetedasunodeatte.jpg
10.「手数は要らず」 tesuuhairazu.jpg 
11.「経済だし」 keizaidashi.jpg
12.「ちっとも」 chittomo.jpg
13.「おいしくはないけれども」 oisikuhanaikeredomo.JPG
14.「でも食卓は」 demosyokutakuha.jpg
15.「ずいぶん賑やかに華麗になって」 zuibunnigiyakanikareininatte.jpg
16.「何だか」 nandaka.JPG
17.「たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ」 taihenzeitakunagotisounoyounimierunoda.JPG

以上、計17品目。

posted by ちんこ寺 at 00:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 b_entry.gif

2006年04月01日

エイプリルフール特別企画「世界一面白いジョーク」

俺の息子がでっかいテントを張っちまったぜ
posted by ちんこ寺 at 21:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 b_entry.gif

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