他人の不幸は蜜の味‐5/8日記(競泳水着フェチ、無駄に熱く語る)において、競泳水着は断じてロリータ趣味ではなく、成熟し、完成された美の表明であるという尊い教えが示されている。
私はその教えの忠実な履行者として立花里子という偉大な女優がいることを世界に訴えたい。リンクは貼らないけれども、「立花里子の絶対競泳水着宣言!!」という作品は、おそらくLSTYさんの言うところの「密着したフォルムの美とエロ」が存在する。
立花里子の、およそロリータ趣味とは程遠いシャープな顔立ちと長い手足に研ぎ澄まされた競泳水着がフィットする様はまさに競泳水着の神が舞い降りたとしか形容の仕様がない。
その(立花里子+競泳水着融合態の)かっこよさは彼女の作品の存在意義を離れて独立して存在しうるかっこよさであり、日本人離れした8頭身の初代ウルトラマンやテリー・ギリアム監督作品「バロン」でヴィーナスの誕生を完全に再現したユマ・サーマンに並び称せられるほどのかっこよさである。興味ある方は是非ご覧いただきたい。
■然れども立花里子+スクール水着はどうか?
あまりにも競泳水着との融合に成功した立花里子だが、もしその融合対象がスクール水着ではどうだろうか?
残念ながら立花里子のシャープな輪郭、長く伸びた手足と成熟したボディは明らかにスクール水着から連想されるところの幼児性、未成熟さ、乳臭さといったものとは相容れない。
しかし、もし競泳水着の神であるところの立花里子がスクール水着が似合わない事を百も承知で、というか似合わなさを強調したらどうだろう?特に胸の辺りに白いつぎはぎで「1−2 たちばな」などと明記させて徹底的に乳臭い格好をさせたらどうだろう?
「競泳水着の似合う身長170cm以上の女優に極端に乳臭いスクール水着を着せて羞恥を強いる企画」
そういうのがあったら是非見てみたい。
以上の件について、LSTY氏の早急な返答を請うものである。