2006年08月26日

気持ち悪い壁に対する違和感と憎悪と嘲笑

子猫殺しに関するサド侯爵の見解

 これを書いたのは、今話題になっている子猫殺しの話の背後にある何か気持ち悪いものを、サド侯爵の視点を通して愚弄嘲笑してやりたいと思ったからなんですが、あんまり多くの人に読まれなかったので失敗でした。

 なんか作家の子猫殺しを弾劾する人たちの書いた物を眺めていたら、世の中に存在する分厚い壁みたいなものを感じたんです。そこでサド侯爵に思い当たったんです。サド侯爵はその過激な思想のせいで精神病院や牢獄にぶち込まれ続けた人なんですが、著作を見る限り彼は間違いなく変態であるけれども同時に明晰な頭脳と近代的発想の持ち主で、どう読んでも本物の狂人とは思えなかったんです。それを精神病院に閉じ込め続けた世の中の壁のようなものを、作家の子猫殺しを弾劾している人たちの書いたものに対して感じたんです。

 それで、そういう壁に私はすごく気持ち悪さというか違和感というか憎悪を感じたので、そういう壁を嘲笑するものを何か書きたいと思ったんです。でもただお前ら気持ち悪いっていうのを理屈で塗り固めてくそまじめに書いても壁を作っている人間と同じ事をしているだけでもっとも忌避すべき書き方だと思ったんです。

 そこで24日の記事を書いたんですが、あまり読まれなかったのでうまくいきませんでした。ただ、興味深かったという感想をもらえたことと、はてなブックマークのお気に入りが一人減ったこと(24日の記事に怒ってお気に入りから削除したとすればの話ですが)の2点は、ものすごく勇気づけられるというか、自分にとって収穫だったと思います。


posted by ちんこ寺 at 23:37 | Comment(6) | TrackBack(0) | webの恐怖 b_entry.gif

2006年08月24日

子猫殺しに関するサド侯爵の見解

 坂東眞砂子さんの「子猫殺し」の話をサド侯爵が聞いたらこんな風に言うだろうかと想像してこの記事を書きました。



■序

 余の理想とする背徳的国家を作り上げた偉大なる日本国民に申し上げたい。いまや日本国にはあらゆる性癖を持つ市民を慰安する施設を国中に建設し、レンタルビデオ店等にはあらゆる性癖を持つ市民の慰みとなるべきビデオ作品が流通している。また、最近ではほぼすべての市民に対して猥褻図画を無料配布する目的を持つインターネットの普及がすさまじい。そしてこのインターネットの副次的効用として歓迎されるべきことは、古い道徳において背徳あるいは悪徳とされてきたところの姦淫、窃盗、誹謗中傷、強姦、堕胎、殺人といった問題の真剣なる検討が行われていることであり、これは非常に歓迎すべき行いである。
 諸君日本人が真に戦闘的な愛国者たらんとすれば、天然自然の理にのみ耳を傾け、自らの欲望の赴くままに悪徳の限りを尽くし、古ぼけ苔むした美徳を嘲笑し、真の愛国者たる原理に基づいて行動すべきであると信ずる。然るに余の敬愛してやまない日本人の中に、未だ唾棄すべき古き悪しき美徳に縛られている輩が多いということを肝に銘じねばならない。我々真の愛国的なる市民の務めは、そのような迷信と古い美徳の監獄の闇の中に閉じ込められている同胞の魂を救い出し、ともに革命の完成を目指す同志として迎え入れることである。



■諸動物に対する殺害行為について

 諸君日本国民の同胞を救いがたい迷妄の監獄の中に閉じ込めている根源たる古ぼけた美徳の主犯者の一つに慈善というものがある。このおどろおどろしくも獰猛な龍の如き害毒が恐怖の首をもたげたのが、最近話題の作家による子猫殺しである。おお、諸君よ、願わくばこの恐ろしき慈善の害毒のくびきを自ら断ち切って、真の自由なる国民として再生せよ。
 さてこの子猫殺しの話には幾多の疑問が生じる。
その一 この行為は自然の唯一の法則に鑑みて犯罪といえるか?
その二 作家はこの行為の持つ意味を正しく理解しているか?
その三 この行為は社会に対して犯罪たりえるか?
その四 この行為は弾劾されるべきか否か?
 これら四つの疑問を、余は一つづつ別々に、検討して行こう。まずはその一、子猫殺しは自然の理から見て果たして犯罪たりえるかということである。
 まず自然の理とは何であるか。この問題を検討する鍵は、その存在が自然の役に立つ存在であるか否かにかかっている。そこで余が諸君に聞きたいのは、いったい生まれたばかりの子猫が自然に対してどれだけの価値を生み出しているだろうか?一歩話を進めて自然に貢献する材料は何であるか?生命の誕生を導き出す元素は何であるか?それらはほかの生命の破壊の上に成り立つものではないのか?もしもすべての生命が永久不変で何からも生み出されずまた何も生み出さなければ自然の介入する余地はなくなってしまうのではなかろうか?もし生命の永久不変であることが自然の理に鑑みて不可能であるならば、自然の理とは創造と破壊の二つの側面を持つという理解に達するであろう。
 自然の理の一片が創造であり、もう一片が破壊であるという真理の上に立ったならば、破壊が背徳であるなどとどうしていえるだろうか?自然が破壊を行うためには創造なくして成り立たず、また創造するためには破壊がなくては成り立たない。たとえば自然の破壊の産物である動物の死骸の中では小さな虫や菌類が創造され、虫や菌類が作った土壌に植物が生い茂る。そして植物を食べる動物がまた生まれるというこの自然の理に対して、子猫を殺すことが何の罪になるといえるであろうか?子猫を殺すことは即ち子猫の中に菌類や虫たちを創造する自然の手伝いをすることであり、自然の流れに協力するだけのことである。そこで賢明な読者諸君は気がつくであろうが、我々がどれだけ破壊殺戮を犯しても、それは自然の理の中でそれを手助けするだけで、自然そのものを破壊することは決してできないのである。ここにおいて、子猫を殺すことが自然の理の推進になることはあれ、それを阻害することには決してならないものであることを知らなければならない。
 以上の自然の理に沿って話を進めていけば、作家の主張にいくつかの間違いがあることがわかってくるであろう。まず作家は子猫殺しの代替案であるところの避妊手術を「その本質的な生を、人間の都合で奪いと」るものとして否定しているが、これは間違いである。我々はすでに、人間のいかなる行為も自然を冒涜することにならない、より正確に言えば人間はどんなにがんばっても自然を冒涜することが不可能であるということを証明済みであるから、避妊手術を否定することは間違いであることを知っている。また、本質的な生とは何であるかと問えば、それは天然自然ありのままの生を生きることであり、生殖能力を奪われたものは奪われたまま、持つものは持つまま生きるということである。生殖能力を奪うことが本質的な生の剥奪であるなどというのは人間の下らぬ理屈の思い上がりである。また、『獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ』というのも間違いである。獣にとっての生とはただ生き続ける以外の何物でもなく、野生か飼いならされているかの問題は存在しない。むしろ、苦労せずに餌が供給されるのであれば、獣は野生よりも生存の容易な飼いならされることを望むであろう。獣は野生のままでいるべきだというのは、人間の勝手な理屈である。
 全般的に作家のエッセイ「子猫殺し」を読めば、この作家の行動自体は正しかったとしても、未だ人間の身勝手な理屈で行動していたということがわかるであろう。この作家が非難されるべきは行動の結果ではなく、行動を起こす要因となった理屈が間違っているという点においてであることを、我々は肝に銘じなくてはならない。
 この行為は社会に対して犯罪たりえるか?
 おお、ここまで読み進んだ賢明なる読者諸君にはなにをか言わん。この行為が社会に対して罪をなしていないのは明白である。我々はすでに大勢の同胞を殺した人間に名誉と栄光を与えているではないか!あの愚かなるロベスピエールもその権力の中にあっては英雄であり、かのコルシカの怪物でさえ我々は皇帝として押し頂き、何十万何百万という同胞を死に至らしめたではないか!これら恐るべき殺人者たちが英雄として祭られる社会において、猫を数匹ころす人間のなにをとがめられようか?ということで次に進む。
 この行為は弾劾されるべきか否か?
 これまで子猫殺しの行為を自然的側面と社会的側面において、この行為が弾劾されるべきか否かについて検討を重ねてきた。そして我々は、この子猫殺しの行為自体が自然的社会的どの側面においてもまったく弾劾するに値せず、唯一責められるべきはかの作家の思い上がりから来る人間本位の思想しかないということを知った。
 しかし、世にはびこる慈善という名の悪徳は数世代に及び人々の魂を篭絡し続け、堅牢なくびきを諸君に架している。そこで余は親愛なる読者諸君に呼びかけたい。諸君はすでにこの記事を読み、子猫殺しが何ら罪にならぬということを心の奥底から理解したと信じるものであるから、諸君には努めて無知蒙昧の慈善家たちの見当違いな非難を嘲笑してやってほしい。間違っても慈善家たちを舌鋒鋭く攻撃してはならない。彼らは攻撃されればされるほどその紐帯を強くし、得意の深刻面(しんこくづら)でその支配を強くするであろう。そうなれば、我々の打つ手はない。そこで、我々は彼らを攻撃するのではなく、嘲笑してやることによって彼らの深刻面を破壊しなければならない。作家のエッセイを弾劾する記事を書き、トラックバックを飛ばしあって慈善の心を満たしている奴らには、ところどころにリンクを貼って嘲笑し、彼らの真剣な記事があたかも軽薄な受け狙いのお笑い記事を書いているように感じさせてやらねばならない。彼らの慈善に満ちた言動が、いたるところで愚弄嘲笑の的になるようにしてやらねばならない。
 こうして、諸君らのたゆまぬ愚弄嘲笑によってのみ、日本国民が良識の仮面をはがし、慈善のくびきから逃れ、真の理想国家建設にまい進するしてゆけるのを、心から信ずるものである。


 

参考文献:『閨房哲学』 マルキ・ド・サド 澁澤龍彦 訳

参考URL:
なんでかフラメンコ‐可愛くなければ殺してもいいのか、という問題
posted by ちんこ寺 at 23:47 | Comment(2) | TrackBack(1) | 妄想 b_entry.gif

2006年08月17日

脳内戦隊サイトロン人物関係図

 脳内戦隊サイトロンの人物関係図が明らかになったので、ここに公表する。



脳内戦隊サイトロン人物関係図

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posted by ちんこ寺 at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 脳内戦隊サイトロン b_entry.gif

2006年08月15日

脳内戦隊サイトロン

銀河ブログ協会‐脳内戦隊サイトロン より



■脳内戦隊サイトロンとは

 脳内戦隊サイトロンとは、ウェブの作法を守るために結成された脳内戦隊である。彼らはウェブの作法を守るためにはいかなる犠牲、いかなる不法行為、いかなる残虐行為をもいとわないスーパー戦隊である。



■サイトロン要員の紹介

 サイトロンレッド
 脳内戦隊サイトロンのリーダー。熱い正義に燃える熱血漢である。その光り輝く正義の心で鉄拳制裁を行う。相手が小学生だろうが瀕死の病人だろうが公正な裁きの心で教育的指導を行い、改心させることが生きがい。多数のサイトを閉鎖あるいは更新停止に追い込んできた歴戦のエース。
 
 サイトロンブルー
 サイトロンの名参謀であり、サイトロンきっての頭脳派。熱意だけでオツムの足りないサイトロンレッドの論理面をサポートする。天才的曲学阿世の徒で、いかなる難局も屁理屈で切り抜けるが童貞である。趣味は、屁理屈で馬鹿を煙に巻いて嘲笑すること。

 サイトロンイエロー
 罵倒担当。世界180言語の罵倒語に精通し、どんな文章にも大量の罵倒を投げつけることができるとうそぶく。サイトロンの先鋒として敵陣に乗り込み、だれかれかまわず罵倒しまくって敵の気勢を削ぐ。たいていの敵はイエローの罵倒で更新停止する。

 サイトロンブラック
 心理戦担当で根暗。相手の文面から弱点を分析し、的確に弱みを突くことが生きがい。レッドの言う正義とやらにはまったく興味がない。彼がサイトロンに在籍する理由はただひとつ、徒党を組んで大っぴらに人の心を傷つけることができるからである。

 サイトロンピンク
 童貞担当。いわゆるもてない男のサイトに忍び寄り、甘言を弄しながら近づき、懐かせたところで徹底的にこき下ろし、精神を破壊することを得意とする悪魔的隊員。眞鍋かをりやしょこたんを憎んでいる。

 サイトロンX
 サイトロン影の組織者。隊員全員を軽蔑している事以外、詳しいことは何もわからない。すべてが謎のベールに包まれている。



■脳内戦隊サイトロン オープニングテーマ

『殺せ無法者』

殺せサイトロン
殺せサイトロン
気に入らない奴は屁理屈つけて
徹底的にやっつけろ
俺たちのあしたのために
無法者をぶっ殺せ

あっちで無断リンク禁止とか言ってるぜ
罵倒しろイエロー
愚弄しろブラック

こっちで素通り禁止とか言ってるぜ
論破しろブルー
粛清しろレッド

だけど ピンクは やらせてくれない
ブルーはピンクにだまされて車を売って
バッグをたくさん買ったけど
「お客様がおかけになった電話番号は、現在使われておりません」
こりゃあ へこむぜベイビー アイウォンチュー アイニーヂュー
そんな目で見るなサイトロンX
そんな目で見るなサイトロンX……

殺せサイトロン
殺せサイトロン
気に入らない奴は屁理屈つけて
徹底的にやっつけろ
俺たちのあしたのために
無法者をぶっ殺せ

脳内戦隊 サイトロン
posted by ちんこ寺 at 23:48 | Comment(2) | TrackBack(1) | 脳内戦隊サイトロン b_entry.gif

2006年08月08日

中華帝国永久回転機関パンダとその労働歌ランバダ

panda.jpg

 中華街を歩いていたら、雑踏の中になにやらもの悲しげなピーピーいうちょうしっぱずれで機械的な単音の音楽が聞こえてきました。それはラテン音楽であり、間違いなくランバダでした。

 なぜランバダなのか、強く興味をひかれて音のするほうを見てみますと、赤い敷物の中心に水を入れたペットボトルがおいてありまして、そのボトルの頂上から赤く太い糸が垂れ下がり、小さなパンダの首に巻きつけられておりました。

 そして残念なことにランバダを歌っているのは赤い糸を首に巻きつけた小さなパンダではないことがすぐにわかりました。なぜわかったかというと、その小さなパンダはもう微動だにせず、赤い敷物の上に倒れ付していたからです。

 それでは音楽はどこから聞こえてくるのか?
 目を転じると、すぐ近くに哀れな小さなパンダ(パンダA)よりも少し大振りなパンダBがペットボトルの周りを延々とぐるぐる回っている姿を見つけることができました。

 私は確信しました。このパンダBこそが妙なる単音のランバダの歌い手であると。

 パンダBはちょうしっぱずれなピーピー言うランバダを歌いながら、パンダAと同じく首に赤い糸巻きつけてペットボトルの周りを永久に回り続けているのです。

 私は不思議に思いました。パンダたちはなぜ回り続けているのだろう?これはもしかしたら何かの永久機関であり、奴隷であるパンダAとパンダBは死ぬまでこの永久機関をまわさなければならないのだろう。何のためにといえば、それは無論中華帝国の栄光のためであり、パンダAは栄光の死なのです。断じて電池切れではなく崇高な精神への献身ゆえだと強く思いました。

 帝国の栄光のために死ぬまで永久機関をまわし続け、息絶えたパンダA。そしてその亡骸を横目に永久機関をまわし続けるパンダB。

 大変恥ずかしいことなのですが、私ははじめパンダたちの歌を聴いたときに、なぜ中華街でランバダなのだ?などと不審に思っておりました。しかし今振り返って思えば、パンダたちのランバダは死ぬまで永久機関をまわし続けなければならない労働者の挽歌であると同時に、生命への強い憧れのうたでもあるのだと思いました。ですからパンダたちがランバダを歌うのは当然の権利であり、何も不自然なことではなかったのです。

 パンダたちの美しい永久回転運動とその哀愁を帯びた歌声を聴くうちに、私の心は同情と慈善の心に満ちてきました。永久回転するパンダBの横には、彼の同僚たちが大航海時代の奴隷船を思わせるかごの中に山積みにされており、かごには「大500円、小200円」というような値札がついていました。

「たいそう安いものだ、これならひとつくらい身請けもできようというもの」

 このような慈善の心の赴くままに小さいパンダをかごから取り出して身請けしたところ、なぜか945円でした。良く見ると、値札の「大500円、小200円」というのは、パンダ本体ではなく、別売りの電池の値段なのでした。より正確に書くと「パンダ大用単2電池二本500円、小用単四電池2本200円」ということでした。さすがは中華のビジネスのノウハウは奥が深いものです。私はびっくりしましたが、これも卑しく下らない精神の発露であるところの同情と慈善に心を支配された罰だと思い、自分を罰するために千円札を差し出しました。

 私は家に帰って早速パンダを動かしてやることにしました。単四電池を2本入れて、スイッチをオンにすると、彼はランバダを歌いませんでした。歌ったのはなんだかわからない中華っぽい単音の音楽でした。

 ああ、君はランバダを歌わないんだねと、私は心から失望しました。しかし、私にはその失望が見当違いなものであるということにすぐに気づきました。労働歌であり挽歌でなければならないランバダは、永久回転機関を死ぬまでまわし続けるパンダAとパンダBにしか歌うことを許されない崇高な歌であり、解放されてしまった私のパンダはランバダを歌う資格を失ってしまったのだと。
posted by ちんこ寺 at 23:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 b_entry.gif

2006年08月04日

足の谷間

 パンプスやハイヒールとかで、足の甲がガバッとあいて素肌が見えるタイプのやつがあるじゃないですか。私はそのガバッとあいている部分に足の指の付け根がチラチラ見えるのがたまらなく好きです。特に足のきれいな人のその空間は特に好きで、先細の靴先に指がムリムリッと詰め込まれているそのわずかな隙間に指を詰め込みたくなります。ごくまれに舌を突っ込んでもよいと思えるような優良なものもあります。

 そして次に私が考えたのは「ガバッとあいている部分に足の指の付け根がチラチラ見えるの」に名前をつけてあげることです。そうだ「ガバッとあいている部分に足の指の付け根がチラチラ見えるの」につける名前はフィヨルドにしよう。なんたってきれいな足の指がハイヒールの中に深々とめり込んでいるさまは、フィヨルドの海にめり込んでいるような美しいな山々を連想させる。でもフィヨルドだけではなんだかさびしいから、もうちょっと地名か何かを付け加えてやろう。ウィキペディアで調べてみたら、ゲイランゲル・フィヨルド、トロンヘイム・フィヨルド、ソグネ・フィヨルド、ダウトフル・サウンド……、ここはやっぱりきれいな足がヒールにめり込んでゆく優雅な風景に適した繊細な語感がほしいから、濁音を含むゲイランゲルとソグネはだめでしょ、ダウトフル・サウンドなどはフィヨルドのフィの字も入っていないから論外、……そう考えるとトロンへイム、トロンへイムだよなやっぱり。トロンへイムという語感がほかと比べて何となく女性受けするに違いない。

 そういうわけで、「ガバッとあいている部分に足の指の付け根がチラチラ見えるのやそれに類似する現象」を名づけて「トロンへイム・フィヨルド」と呼ぶことに決まりました。早速最初の文章に取り入れましょう。

 以下、最初の文章にトロンへイム・フィヨルドを挿入したものです。


『パンプスやハイヒールとかで、トロンへイム・フィヨルドってあるじゃないですか。私はそのトロンへイム・フィヨルドがたまらなく好きです。特に足のきれいな人のそのトロンへイム・フィヨルドは特に好きで、先細の靴先に指がムリムリッと詰め込まれているそのわずかなトロンへイム・フィヨルドの隙間に指を詰め込みたくなります。ごくまれに舌を突っ込んでもよいと思えるような優良なトロンへイム・フィヨルドもあります。』
posted by ちんこ寺 at 23:54 | Comment(4) | TrackBack(0) | 妄想 b_entry.gif

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