2006年04月29日

真の排便家にとって、糞尿でないと分かっていて食ったかどうかは問題ではない。

■先日の記事の補足

 先日の記事排泄は官能的美を追求しなければならないにて、小説「好色」に登場する平中(平貞文)という人物を通して排泄の美について語ったところ、以下の反応があった。

「ちょっ、それじゃ平貞文が好きな女のうんこを食いたい人みたいじゃん!ちゃんと薫物である事に気づいてから口に含んでるって!」
神コップBloG_ver.?‐4月24日のニュース

「こちらを読んで確認したところ芥川龍之介の「好色」のあれは好きでうんこがみたかったんじゃなくて嫌いになる為に(恋の病から醒める為に)あえて見てやろうとした、という話であります」
銀河ブログ協会:修行中‐排泄の件
 確かにそのとおりである。青空文庫「好色」のリンクを貼ってはいたものの、どうせ誰もリンク先を精読する人なんていないだろと、タカをくくって話を膨らませたことをここに告白する。また、リンク先もきちんと読んでくれた事に感謝したい。
 しかし、私が世界に発信したかったのは、平中が糞尿そのものを食ったか食ってないか、あるいは糞尿を愛するか愛さないかの話ではない。以下、説明する。



■糞尿でないと分かっていて食ったかどうかは問題ではない

 先日の記事で私はこう書いた。
「やはり排泄の官能美の探究は、見られまいとする恥じらいの気持ちと、暴き見てやろうという凶暴な欲情のバランスの上に成り立つものであり、ここがただの排泄と官能的排泄を峻烈にわけ隔てるものである」
不備日報排泄は官能的美を追求しなければならない
 つまり私が最も言いたかったのは、隠そうとするものと暴き見ようとすものの間に生まれる緊張に満ちたバランスが官能を生み出すということである。糞尿はその緊張を生み出すための数ある道具の内のひとつに過ぎない。



■「好色」は官能美の一つの完成形である

 私が平中の変態ぶりに最も心震わせたのは、侍従の大便の偽者を噛んで確かめたことではなく、侍従への想いと対決するために糞便の入った箱を強奪しようとしたことである。発想が明らかに常軌を逸しており、正真正銘の変態ワールドであるといわざるを得ない。
 考えても見よ。自分の恋心を何とかして落ち着かせたい、諦めたい、自分の心をここまで追い詰める相手に何とかして打ち克ちたい……、こういう心境にあるときに、よりにもよって相手の大便を見てやろうなどと思うだろうか?普通は思わないだろう。これこそ究極の官能の形の一つである。

 隠す恥じらいの心情と、暴き見る卑屈凶暴な感情のバランスの振幅の大きさが官能の美しさを決めるとすれば、相手の大便を強奪して見ること、そしてわざわざ口に含んで本物かどうか確かめることというのは、これ以上にないほどの官能美を現出するはずである。
 普通、自分の大便は隠すものであって、人に見せるものではない。まして自分の大便を狙っている人物の存在など、想像するだけで屈辱的であり、鳥肌が立つほど気持ちが悪い。平中はその屈辱的な環境の中に侍従を巻き込むことによって、自分の恋心に勝利しようとしたのだが、侍従も負けてはいない。

 侍従も変態である。なぜなら、普通は自分の糞便が狙われていると分かったら、箱に厳重に鍵をかけて、人が寝静まる深夜にひそかに捨てに行くはずである。それをわざわざ偽物を作って平中に発見させるというのは、平中をはるかにしのぐ大変態である。

 また、この物語を書いた芥川龍之介も天下の変態であるといわざるを得ない。特に下記に引用した部分は私が最も心震えた部分であり、じっくり読んでいただきたい。

 平中はわなわな震へる手に、ふはりと筐の上へかけた、香染(かうぞめ)の薄物を掲げて見た。筐は意外にも精巧を極めた、まだ真新しい蒔絵(まきゑ)である。
「この中に侍従の糞(まり)がある。同時におれの命もある。……」
 平中は其処に佇んだ儘、ぢつと美しい筐を眺めた。局の外には忍び忍びに、女の童の泣き声が続いてゐる。が、それは何時の間にか、重苦しい沈黙に呑まれてしまふ。と思ふと遣戸や障子も、だんだん霧のやうに消え始める。いや、もう今では昼か夜か、それさへ平中には判然しない。唯彼の眼の前には、時鳥(ほととぎす)を描(か)いた筐が一つ、はつきり空中に浮き出してゐる。……
青空文庫「好色」より一部引用
 どうだろうか?
 まず大便を入れた箱を描写するのにいちいち細かすぎるほど丁寧に書いている。芥川さんはここを書きたくてこの小説書いたんじゃないかと思うくらいである。平中の命たる「侍従の大便入り箱(偽物)」は「ふはりと筐の上へかけた、香染の薄物」がかけてあり、それをめくると「真新しい蒔絵」が施されている。さらに時鳥のデザインのイメージとともに浮遊しだす箱。このくだりを読むだけで、芥川さんが舐め回すように、またはむさぼるようにして、うれしそうに「侍従の大便入り箱(偽物)」を描いてる姿を、ありありと想像できる。
 そして忘我の境地のはるか外で聞こえる「女の童の泣き声」が、陵辱的な演出にまた別の危うさを添えて引き立っている。

 ここまで徹底的にお膳立てされてしまっては、平中も偽者本物に関わらず、口に含まざるを得ないではないか?本物か偽物かなどどうでもよく、口に含むことに意味がある。もう平中は忘我の境地だったのだから、もしかしたら感覚がおかしくなっていただけで、実際は本物を口にしていたのかもしれない。しかし、哀れな平中には小便のにおいが丁子の煮返した匂いに、大便の味が苦味の交つた甘い味にしか感じられなかったのかもしれない。そして勝手に悶死したのかもしれない。
 そうだとしたら、はたから見れば平中は発狂して突然死したとしか見られないだろう。侍従の小便にまみれ、大便を口に含んだまま発見される平中の変死体。平安京ミステリー。しかし、平中にとってそれらは丁子と橘の香りに包まれた桃源郷なのだ。

 つまり、忘我の境地に立った平中にとっては、箱の中身が本物か偽物かなどどうでもよいのだ。



■今週のお題

 さて盛り上がったところで、ブログ文章術のマネをして、みなさんにお題を出ます。やはりこういう話題はより多くの人のさまざまな角度からの意見が出されるのが面白いと思うからです。
 

お題
「あなたは、侍従の箱は本物入りか偽物入りか、どちらであるべきだと思いますか?またその理由や、あなたの官能に対しての信念を述べなさい」


 この設問に正解不正解は一切ありません。自分の記事が糞尿まみれになってもいいという勇気のある方は、この記事にトラックバックして大いに語ってください。
posted by ちんこ寺 at 02:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 妄想 b_entry.gif
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