2006年08月08日

中華帝国永久回転機関パンダとその労働歌ランバダ

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 中華街を歩いていたら、雑踏の中になにやらもの悲しげなピーピーいうちょうしっぱずれで機械的な単音の音楽が聞こえてきました。それはラテン音楽であり、間違いなくランバダでした。

 なぜランバダなのか、強く興味をひかれて音のするほうを見てみますと、赤い敷物の中心に水を入れたペットボトルがおいてありまして、そのボトルの頂上から赤く太い糸が垂れ下がり、小さなパンダの首に巻きつけられておりました。

 そして残念なことにランバダを歌っているのは赤い糸を首に巻きつけた小さなパンダではないことがすぐにわかりました。なぜわかったかというと、その小さなパンダはもう微動だにせず、赤い敷物の上に倒れ付していたからです。

 それでは音楽はどこから聞こえてくるのか?
 目を転じると、すぐ近くに哀れな小さなパンダ(パンダA)よりも少し大振りなパンダBがペットボトルの周りを延々とぐるぐる回っている姿を見つけることができました。

 私は確信しました。このパンダBこそが妙なる単音のランバダの歌い手であると。

 パンダBはちょうしっぱずれなピーピー言うランバダを歌いながら、パンダAと同じく首に赤い糸巻きつけてペットボトルの周りを永久に回り続けているのです。

 私は不思議に思いました。パンダたちはなぜ回り続けているのだろう?これはもしかしたら何かの永久機関であり、奴隷であるパンダAとパンダBは死ぬまでこの永久機関をまわさなければならないのだろう。何のためにといえば、それは無論中華帝国の栄光のためであり、パンダAは栄光の死なのです。断じて電池切れではなく崇高な精神への献身ゆえだと強く思いました。

 帝国の栄光のために死ぬまで永久機関をまわし続け、息絶えたパンダA。そしてその亡骸を横目に永久機関をまわし続けるパンダB。

 大変恥ずかしいことなのですが、私ははじめパンダたちの歌を聴いたときに、なぜ中華街でランバダなのだ?などと不審に思っておりました。しかし今振り返って思えば、パンダたちのランバダは死ぬまで永久機関をまわし続けなければならない労働者の挽歌であると同時に、生命への強い憧れのうたでもあるのだと思いました。ですからパンダたちがランバダを歌うのは当然の権利であり、何も不自然なことではなかったのです。

 パンダたちの美しい永久回転運動とその哀愁を帯びた歌声を聴くうちに、私の心は同情と慈善の心に満ちてきました。永久回転するパンダBの横には、彼の同僚たちが大航海時代の奴隷船を思わせるかごの中に山積みにされており、かごには「大500円、小200円」というような値札がついていました。

「たいそう安いものだ、これならひとつくらい身請けもできようというもの」

 このような慈善の心の赴くままに小さいパンダをかごから取り出して身請けしたところ、なぜか945円でした。良く見ると、値札の「大500円、小200円」というのは、パンダ本体ではなく、別売りの電池の値段なのでした。より正確に書くと「パンダ大用単2電池二本500円、小用単四電池2本200円」ということでした。さすがは中華のビジネスのノウハウは奥が深いものです。私はびっくりしましたが、これも卑しく下らない精神の発露であるところの同情と慈善に心を支配された罰だと思い、自分を罰するために千円札を差し出しました。

 私は家に帰って早速パンダを動かしてやることにしました。単四電池を2本入れて、スイッチをオンにすると、彼はランバダを歌いませんでした。歌ったのはなんだかわからない中華っぽい単音の音楽でした。

 ああ、君はランバダを歌わないんだねと、私は心から失望しました。しかし、私にはその失望が見当違いなものであるということにすぐに気づきました。労働歌であり挽歌でなければならないランバダは、永久回転機関を死ぬまでまわし続けるパンダAとパンダBにしか歌うことを許されない崇高な歌であり、解放されてしまった私のパンダはランバダを歌う資格を失ってしまったのだと。
posted by ちんこ寺 at 23:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 b_entry.gif
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