2005年09月04日

牛は倒れているわけではないし、ましてや落ちているのではない 空間認識にまつわる話

最近読んだ記事の中で気になったものについて書きます。

ホットワイアード:研究報告「東洋人と西洋人は世界の見方が異なる」

この記事が非常に面白かったです。

この実験によると、同じ絵を見ても東洋人は背景や全体をより注意して観察し、西洋人は背景よりも前景として描かれているものから注意して見る傾向があるようです。

なんか自分が無意識に課している思考の枠を改めて意識させてくれたような気がしました。


■最近読んだ「マクルーハン理論―電子メディアの可能性」という論文集のような本の、「先史時代の空間概念」(S.ギーディオン)という論文では、同じヨーロッパ人でも現代人と先史時代の人とではまるっきり空間概念が違うということを言っています。

具体的に言うと先史時代の壁画を題材に、先史時代の人たちが私達現代人といかに異なった空間認識を持っていたかが論じられています。

私達は絵を見るとき、たいていは自分から見て下が地面、上が空という認識で見ます。
↓こんな風に。
lascaux.gif


そして、下のような絵を見ると、私達は
「ああ、これは牛が倒れている、あるいは転落している絵だな」
という風に認識します。
lascaux02.gif

しかし、ギーディオン氏によると、先史時代の人は必ずしもそういう認識をしないということらしいです。
つまり、先史時代の人たちは、上下左右の整合性を考えずに絵を描き、見るので、牛がさかさまになっていても、それは倒れている、転落している、そういうことを表しているとは限らないということらしいんです。

なんでも、先史時代に近い生活習慣を維持しているエスキモー(今はイヌイットというようです)は、現代の「垂直、水平面を考慮して物を見る」ことをしないようなのです。

以下、引用。
アイビリク・エスキモーに写真を裏返しに渡しても、彼はそれをひっくりかえそうとはしない。エスキモーの子供たちは紙の上に絵を描いてまだ紙が足りなければ、裏側に残りの部分を描く。(中略)彼らは「形が牙の端に来るまで描きつづけ、それからその牙をひっくりかえして、反対側にその形を完成させるという癖」をもっている。
(マクルーハン理論―電子メディアの可能性 2部4「先史時代の空間概念」 P227)

引用ここまで。

また、先史時代の人たちは時間の枠にもあまり縛られていなかったようで、一つの洞窟壁画が完成するまでに3万年近くかかったものも多いそうです。先史時代の人は、遠い昔に誰かが描いた絵の隣に、何のためらいもなく自分の絵を描いたりしたそうです。
上の図でたとえれば、紀元前28114年に先史時代人Aさんが書いた牛の隣に、紀元前9868年の先史時代人Bさんがイカを描いた、というような例がざらにあるということです。もしかしたら、「絵を完成させる」という概念を持っていなかったのかもしれません。


■上の二つのテキストを読んで、自分が無意識的にいろんなものさし(文字、時間、ディスプレイ、紙、羅線、コメント欄…等々)に拘束されていることに気づき、なんとなくへこみました。
「今自分が気づいていないことは何か」
「今自分が見ていない(聞いていない)ことはなにか」
こういう視点で見ていくと、新しい発見が足元にごろごろ転がっていることに気づいて愕然とするかもしれないと思いました。
posted by ちんこ寺 at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(1) | 博物誌 b_entry.gif
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