さっきテレビでハリー・ポッターの1作目を久しぶりに見たんです。そしたら心の奥のほうから怒りがこみ上げてきて仕方が無くなってきました。はじめて見たときに何故怒りを感じなかったか自分でも不思議でなりません。
■何に怒りがこみ上げたか
魔法使いのチェスという場面で、ロン・ウィーズリーという登場人物のとった行動に対する作中での評価の低さです。
J・K・ローリングよ、あなたは「人間の偉大さは、恐怖に耐える誇り高き姿にある」という言葉を知らないのですか?とレンガを片手に持ちながら問いただしたい気持ちになりました。もちろんレンガは建築のためではなく、相手の即頭部に叩きつけたいと思ったために片手に持つのです。
■具体的に言うとこうだ
作中、ロン・ウィーズリーは、魔法使いのチェスという地獄のゲームでチェスを指さねばならなくなりました。魔法使いのチェスというのは、剣や棍棒を持った駒が実際に殴りあう巨大なチェス盤の上で自分たちも駒となって戦うチェスのことで、自分が相手の駒に取られた場合は容赦なくやられるという恐ろしいゲームです。
ロン・ウィーズリーは見事な采配で相手をチェックメイト寸前に追い込みますが、そこで問題が発生します。チェックメイトに持ち込むには、ロン・ウィーズリー自らが指揮するホースを捨て駒にしなければなりません。
そこで彼は、やめろやめろとわめく仲間の言葉を無視して相手の駒に自らのホースを取らせてチェックメイトします。彼自身はホースを串刺しにされて吹き飛ばされ、生死の境をさまようわけです。
その後、ロン・ウィーズリーは無事生還し、終業式の際に校長先生にほめられるのですが、そのほめ言葉が、「近年まれに見るチェスの名勝負をしたから50点あげる」というものでした。友達のハリーは、ただ運が良かっただけ(なぜかポケットに賢者の石が入っていた。悪者に触ったらそいつが石化した)だけなのに、「勇気と意志の強さ」を認められて60点をもらいました。
なんということでしょう。これに怒りを感じずにいられましょうか。
■怒りポイント其の一 ほめるポイントが違うんじゃないか?
ロン・ウィーズリーが校長先生からほめられたのは、「近年まれに見るチェスの名勝負をしたから」でした。
しかしほめるポイントが違うんじゃないでしょうか。
彼がほめられるべきは、「次の一手で確実に自分が戦死する」という恐怖心に打ち勝って、冷静に采配を振るって勝負に勝ち、大切な友達を助けたことでしょう。
並の人間ならば、自分の目の前に恐怖が迫ったとき、大局を見ることができずに自分が助かりたい一身で間違った判断を下してしまうはずです。
その点彼は、子供ながら優れた将器の持ち主です。彼は魔法学校などに行かずに、ロイヤルネイビーに入るべきでした。そうすれば、ネルソン提督のような、トラファルガー広場に銅像が立てられるような名将として歴史に名を残したことでしょう。
校長先生の、教育者としての資質を疑います。
■怒りポイント其の二 配点が不公平じゃないか?
先ほども述べたとおり、ロン・ウィーズリーは終業式の際に校長先生からほめられ、50点もらうわけですが、友達のハリー・ポッターはたいした努力もせずに悪者の自滅の現場に居合わせただけで60点もらいました。
この配点はどういう意図で行われたのか、怒りがこみ上げてきます。
結果だけを見れば、賢者の石窃盗事件の最終局面に居合わせ、石窃盗を防いだハリー・ポッターが評価されてしかるべきですが、ここは教育現場です。結果だけでなく、子供たちの努力のプロセスを見てあげることも重要なのです。
その点、ロン・ウィーズリーは偉大でした。彼は「魔法使いのチェス」で自分の戦死と引き換えに勝利を得るという非常手段でもって、自分の行動の結果に責任を持ち、それを果たしました。ただ恐れおののき、わけも分からずに成り行きに流され、生まれ持った魔力に頼りきったハリー・ポッターとは大違いなのです。
だから、ハリー・ポッターが60点もらったのならば、ロン・ウィーズリーは600点くらいもらってもおかしくないのです。自分の行動にきちんと責任を取る姿勢は、生まれ持った魔力と運のよさに頼る姿勢よりも、十倍の評価を得てしかるべきなのです。
それなのに50点しかもらえないとはどういうことでしょう。
校長先生は、努力や自分の行動に責任を持とうとする姿勢よりも、生まれ持った才能と運のよさを評価するようです。
校長先生の、教育者としての資質を疑います。
■以上が怒りの解説です
繰り返しますが、J・K・ローリングよ、あなたは「人間の偉大さは、恐怖に耐える誇り高き姿にある」という言葉を知らないのですか?と言ってやりたい気持ちでいっぱいです。もちろんレンガです。
上記の記事、確かに正論ですが、現実ではロンのような人物より、ちゃっかり者で、運のいいハリーのような奴の方が大抵得している気がします。
なので、ある意味では非常「教育的」なストーリー展開なのかなと。まぁ、ローリングの意図は不明ですが、自分が親なら子供にはそう教えますww
どうやら世間というチェス版の配置は、生まれたときすでにある程度決まっており、駒の意思ではどうにもならなそう、というのが私の考え方なもので。
まぁ、そういう人間もいるのであんまり、作者を責めないであげてください。
まぁ長々と書いても読みづらいだけなんで簡単に書くと、あれを運が良かっただけ、敵が自滅しただけと思ってるなら随分と役に立たない目玉、鼓膜、そして脳みそをお持ちなんですねってこと
しかしロン自身は特に何も反論していなかったので、結局主人公補正によるものかと、納得するしかありませんでした。
今思えば、世の中は不公平が当たり前だし、評価する人間の独断と偏見に左右されるものだと、この記事を見て当時を振り返りました。